その2
○3月12日:モスの日(1972年、一号店オープン) →モスチーズが食べたい〜 ・・・去年も同じコト書いてた(笑
その1で、結構ロクでも無いコトを書いたけど
その続きというか、補足みたいな感じ。
あれこれこねくり回して書いてみたけど
それは僕が思っているコトの一部分で、あれがすべてではない。
そういう一面もある、ということだ。
物事には二面性や多面性や背面性があり、その一つだ。
僕には真理なんてわからないし
SEXをする事の意味だって良くわかっていない。
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好きな相手とSEXがしたいと思うのは、ごく自然な考えだと思う。
もちろん僕だってそうだ。
その反面「アタシってカラダだけの相手?」って思う人もいるだろうけど
僕に限って言えば、好きじゃなきゃしたくないし
そういう意味では「だけ」というのはあり得ない。
僕はこんなアホだけど、誰とでもSEXをするワケではない。
好きだから、気に入ってるからSEXをするのだ。
そういう意味合いでいくと
プラトニックというのはイマイチ理解出来ない。
好きなら挿れたくなるだろう、とか思うワケだ。
プラトニック派にはそれなりの理由があるんだろうけど
悲しいコトに、自分より欲求の少ないモノは理解出来ない脳味噌なのだ。
だからプラトニック派というのは
「SEXをしたことがない、もしくは楽しくない・ロクな想い出がない」
という人種なんだろう、と思っている。
すんげぇ良いSEXを一度でも経験すれば
目から鱗、青天の霹靂、肉欲のるつぼ となると思うんだよなぁ。
→なんか違うな(笑
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こないだも書いたけど
SEXでしかわからない部分 というのはあると思う。
いくら何百時間、顔を付き合わせ語り合っても
2時間のSEXでしか知り合えない部分は存在する。
それは心とカラダの奥底に、ひっそりとたたずんでいて
冬眠しているリスのように、くーくー眠っているのだ。
奥底の小さな部屋の中で、静かに眠っているのだ。
その扉を開ける理由は様々だ。
最後の砦として大事に守っている場合もあるし
コミュニケーションの一つとして開ける場合もある。
しかしその扉を開けることにより問題が生じるのも確かだ。
物事の良い部分と悪い部分は絶えず背中合わせだし
良い部分だけで生きていくワケには行かないのだ。
例えば一度SEXをしたからといって彼氏・彼女面になってしまう場合や
異常なまでの感情移入をされてしまう場合や
実は相性がべらぼうに悪い場合や
そういうリスクの存在を認識しなくてはならない。
だからこそ、扉を開くには注意が必要だし
誰もが気楽に開けるモノではないと思う。
僕は比較的扉の鍵は緩いし、コミュニケーション率が高いから
今のところハイリスクは負っていないのは助かっている部分だ。
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また話しがずれたな。
今現在の結論としては
良い関係作りには、良いSEXが必要だ
という感じですかな。。。。