「枠」に守られる
○3月25日:永井荷風の「ふらんす物語」発禁処分(1909年)
→今とあんまりかわらんな、、。次は新潮だし。
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昨日は更新出来なくてずびばぜん。
ミョーに忙しいです、はい・・・
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http://www.ktv.co.jp/dad/
少し興味あるかな、このドラマは。
でもさー、コレ↓と似てると思うんだよな〜
http://www.pluto.dti.ne.jp/~kasuga/books/ikibata.html
作者は星里もちる
「はてな」だとリンク貼られてます(笑
http://homepage1.nifty.com/nagoyan/mochiru/mochiru_sakuhin.htm
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一昨日の続き。
「休日のゴルフの付き合い・上司の引越の手伝い」が「属する」とどう関係あるかというと
プライベートな時間までも「会社という枠に束縛される」という事です。
極端な事を言えば、残業が終わって「ちょっと一杯どうだ?」と上司に迫られて
飲みに行くのと同じです(笑
タイムカードを押せば仕事は終わりだし、その後は何をしても自由なはず。
でも「付き合わされる」という事は、結局仕事の延長に成りかねない、という事です。
プライベートな時間なのに、上司にお酌しなきゃいけないのって
アホらしいと思いませんか?(笑
でも「みんな行くし」とか「付き合いも大事だし」という理論で
結局飲みに行っちゃうんですけどね(笑
確かにそういった「枠」に縛られる(守られる)のは、楽といえば楽ですし。
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なぜこういう事が起きるのかというと、ブランド至高主義と関係があると思います。
つまり
「自分自身の位置を確認するために、何か他のモノサシが必要だ」という事です。
例えば「○○を持っている自分」とか「○○商事に勤めている自分」とか、
そういう事です。
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丁度こんな雑誌を見つけました
http://www.joseishi.net/frau/contents/contents01.html
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ブランド品に限った事ではないけど
モノを持つという事は「それを気に入っているから」であって
「ソレが、良いと評価されているから」じゃないと思うんです。
逆に言えば自分自身が気に入ったモノであれば、ブランドなんて関係ない、って事です。
これこそが「個人主義」の原点なのだと思います。
つまり「回りに流されない自分自身の価値基準を持つ」と言うことです。
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なんか話がだんだんズレてきちゃいましたね(笑
えーと、なんでしたっけ。
そうそう、浮いてたってハナシ。
とにかく13年前、ピアスを開けたかったから開けたワケです(笑
・・
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・・・・・・・
疲れてんのかなぁ(笑