思い出したコト

○10月25日:世界パスタデー
       →1995年、イタリアで世界パスタ会議開催(笑
 
 
++
 
 
出産の為、十日町市の実家に里帰りしている友人と連絡が取れない。
こっちに帰ってきてると良いんだけど。。。。
 
 

  1. +

 
 
阪神大震災を思い出した。
 
 
 
あの日、僕はテレビを見た瞬間、京都に居る友人に電話をかけた。
もちろん繋がらなかった。
 
 

  1. +

 
 
2日前の1月15日。
僕の住んでいる地方で、震度4の地震が起きた。
 
 
 
 
僕は布団の中で揺れを感じたのだが、それほど大きくなく一安心していた。
 
 
 
 
 
 
暫くすると枕元に置いた電話が鳴り、取ってみると京都に住んでいる女友達からだった。
「そっち、地震あったやろぉ? ぽん兄のトコは平気やったん?」
 
 
 
 
 
受話器からは、聞き慣れた京都弁が聞こえてきた。
 
 
 
※彼女が「ぽん兄」と呼ぶのは、R子の実家絡みで知り合ったから。
 R子や父親が僕を「ぽん兄」と呼ぶのを聞いて、彼女もそう呼ぶようになった
 
 
 
 
「うん、大丈夫。ありがとね、わざわざ」
「んーん。ちょと心配やったから」
 
 
 
 
そう言って彼女とは電話を切った。
 
 
 
 
 
その二日後、僕は1時間おきに電話を掛けたのだが
結局翌日まで電話は繋がらなかった。
 
 
 
 
幸い、彼女の家は震源から離れていて、殆ど被害に遭わなかったらしく
僕も一安心した。
 
 
 

  1. +

 
 
 
彼女と僕は、兄妹のような関係だった。
 
 
 
 
仲が良かったせいか、廻りは遠距離恋愛でもしてると思っていたようだが
僕も向こうもそんな気は無く、気が合う友人として話しをしていた。
 
 

 
 
しかし、親心とは面白いモノで
彼女は母親に「ぽん兄と結婚すれば良いのに」と言われていたようだ。
 
   
 
 
僕はフツーに友達だったから、何のやましい部分もなく電話していたし
元々愛想が良く、親ウケが良いのだ。
 
 
 
 
電話をして彼女が居なければ、母親と話をしていたくらいだ。
そういう裏の無さが母親は気に入ったらしく、彼女に僕を薦めていたのだ。
 
 

  1. +

 
 
 
その子と会っていて楽しいのは
別れ際に「遠距離恋愛ごっこ」が出来るコトだった。
 
 
 
 
会って帰る時、お互いが新幹線のホームまで見送りに行き
「じゃぁまたね」と手を振るのだ。
 
 
 
 
 
端から見れば遠距離恋愛に見えたのだろうが、別にそんなコトは無い。
ただ、そのシチュエーションで遊んでいただけだ。
 
 
 
 
こういう遊びってなかなか出来ないし、楽しかった。
 
 

  1. +

 
 
 
今は、その子は母となり、育児に追われているはずだ。
 
 
そのウチ連絡を取ってみようかな、などと思ったりした。