1:一通のメール


○4月21日:ゲームボーイ発売(1989年)
 →満員電車でGBをやってるサラリーマンって、かなりウザいしイタい

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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050421-00000035-sanspo-ent 一昔前の質を逆輸入



ヒトは生きていく上で、出会いと別れを繰り返す。
僕はもう30歳を越えているが、それまでに知り合ったヒトは
ざっと数えても何千人にもなるだろう。


小学校で何百人、中学で千人、高校で千人、その後にも何人も。
顔見知り、というだけのヒトも居れば仲良しになったヒトもいる。
そんな何千人もの人たちと、何かしらの関わりを持ち、生きてきた。


その中で仲良くなるヒトは、実際には数%しかおらず
友達とか恋人とかになる相手というのは、ホントに「縁」があるんだな
とつくづく思う。




しかし現実を見ると、小学生の頃の友人なんてとっくに疎遠だし
継続して付き合いのある人なんて殆ど居ない。


きっと僕の中には人付き合いを同時にこなす制限があって
そのキャパを越えると、疎遠になり、また他の人と知り合って行くのだ。
もちろん、中にはキャパを越えても疎遠にならないヒトも居る。
そういうヒトは、永い間僕の中に留まり、より深い付き合いを続ける。


しかしその逆に
アッサリと通り過ぎるヒトもいれば、様々な問題で縁が切れてしまうヒトもいる。
簡単に通り過ぎられてしまうと「ま、そんなもんかな」と思う事が出来るが
仲が良かったのに縁が切れてしまうというのは、少なからず辛い想いをする。




でも、結局のところヒトはそうやって歳を取っていくのだし
続く・続かないというもの「縁」でしか無いのだ。
だからこそ、今、仲の良い人たちとの繋がりは大事だし
なるべくならその繋がりを強めておきたいと思う。


去る者は追わず、ではないが
僕にとって大事なのは、今とこれからなのだ。


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sub:ごめんなさい
本文:旦那に正直に話してしまいました。
   もうぽんさんとは会いませんし連絡も取りません。
   長い間ありがとう。さようなら





僕は、そのメールを、肌寒い朝の通勤電車の中で受け取った。
「ごめんなさい・ありがとう・さようなら」の三段活用なんて久しぶりに聞いた気がするが
そんな感慨に浸っている場合ではなかった。


一体、彼女は何を言ってるんだ?
そして旦那には何を喋ったんだ?



僕はその数日前に彼女と会った時の事を思い出し
そして整理しようとしたが、巧くいきそうに無かった。


三段活用のカウンターパンチで、どうやら少し動揺しているようだった。
やれやれ、面倒な事にならなければ良いけど。




僕はそう思い、会社に向かう事にした。