7:ため息


○5月13日:カクテルの日(1806年)
 →雑誌「バランス」で紹介。それまでは俗に「ビタースリング」と呼ばれていた。

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http://headlines.yahoo.co.jp/ranking/ori/mus/cd_d.html 3位が怖い・・・



やれやれ。一応落ち着いたのかな。


そう思っていた矢先の、ある肌寒い日
N子からメールが届いた。






sub:ごめんなさい
本文:旦那に正直に話してしまいました。
   もうぽんさんとは会いませんし連絡も取りません。
   電話もメールも一切出来ません。ごめんなさい。
   自分で築いてきた生活を大事にして下さい。
   私は自分の生活をあっという間に壊してしまいました。
   今後の事はわからないけど、それをあなたに伝える事も無いと思います。
   長い間ありがとう。さようなら





「ごめんなさい・ありがとう・さようなら」の三段活用なんて久しぶりに聞いた気がするが
そんな感慨に浸っている場合ではなかった。






とにかく、N子は旦那に話をしてしまったのだ。
一体、何を喋ったのかは分からない。




でも、N子がさようならと言ってきたのなら
それは本当にさようなら、なのだと思った。




まだ昨年会っていた頃
N子は「今度、もし縁が切れたら、一生切れちゃうよ」
と僕に言っていた。




それがこんなカタチでの切れ方になるとは思わなかった。






僕はその突然の(しかしある程度予想はしていたが)出来事に驚いた反面
ココロの何処かで安心してしまった。




僕はこのまま一人の友人を失ってしまうのだろうか


そう考えると悲しくなったが
それがヒトとヒトの縁、と考えると仕方が無い事なんだろうか
とも思った。




そしてこれでアッサリと終わるなら、面倒な事にならないかな
とも思った。




悲しさ半分、安心半分。
そして安心してしまった自分に対し、ため息をついた。




やれやれ、こんな卑怯なニンゲンだったか、と。






とにかくその時の僕は
N子という人間を失った事に対する悲しさと
安心したとはいえ、今後起こりうる問題の可能性を考える事で精一杯だった。




しかし、何をどう考えても答えの見つかる事では無かった。
N子が「サヨナラ」と言ったなら、それはサヨナラだし
起こりうる問題は可能性でしかなかった




だから僕は結局、考える事を止め、流れに身を任せる事にした。
何か起きるなら起きれば良い。
それから考えれば良いのだ。




そう思い、僕はその日を過ごした。


++


それから数日、僕はいつものように仕事を続けた。
身の回りで何が起こっていても、仕事は仕事だし
僕の生活は僕の生活で、留まるワケにもいかないし、進むしかなかった。






ある日の夕方、携帯に公衆電話からの着信が入った。


公衆電話?
誰だ?


僕はそう思い電話を取った。