偉大なドライバー
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061024-00000117-sph-soci やっぱり起きましたか、こーゆー事。 >やせ形で眼鏡をかけ、青と白のチェックのシャツに、黒いズボン姿 もちろんシャツはズボンの中?(笑
■今日のアクマ■
「痛風」
リューマチの別称。但し金持ちのみ
引用:新編 悪魔の辞典 (岩波文庫)
これだけF1がメジャーになっていると、何も語る気が起きないし、
いまさら何を言うワケでもないけど、
なんとなく。
ミハエル・シューマッハが先日のブラジルGPをもって引退した。
彼が最も偉大なドライバーの一人であることは疑いようが無いだろう。
タイトル7回なんて、尋常じゃないし、
その長い間、モチベーションを保ち続ける精神力は素晴らしい。
→ライバルだったミカ・ハッキネンはモチベーションが落ちちゃったし(笑
☆
僕がF1を初めて観たのは、高校1年の頃だ。
当時から夜更かしグセのあった僕は
何の気ナシにF1の放送を見始めたのだ。
当時、
中嶋悟とアイルトン・セナはロータスホンダに在籍していて、
アラン・プロスト*1、ネルソン・ピケ*2、ナイジェル・マンセル*3と共に
セナは4強に数えられていた。
セナも偉大なドライバーの一人であろう。
シューマッハの偉業が語られる時、*4
必ずセナが引き合いに出される。
それはシューマッハがセナを尊敬していたからでもあり、
シューマッハの目の前でセナがクラッシュしたからであり、
セナの存在が、日本でF1を根付かせる原因となったからであろう。
F1を中継していたフジは
「音速の貴公子」という名称を連呼し、彼を英雄にした。
彼はマンガにもなったし、バラエティにも呼ばれた。
そして、シューマッハの進撃が始まるまで
他者の追随を許さない、最も偉大なドライバーとして
局全体が盛り上げた。
☆
ところで下の表を見てもらいたい。
これは今朝のスポーツ新聞に載っていた表だ。
ご覧の通り、セナは他者の追随を許さないドライバーである。
セナとシューマッハは、永遠のツートップである。
え? プロスト?
あぁ、フジテレビが悪役として敵視してた人ね(笑
さて。
ここで本題。
英雄を創り上げるためには「敵」が必要である。
"プロフェッサー"ことアラン・プロストも、
間違いなく偉大なドライバーの一人である。
しかし、ここ日本では
明らかに悪人であり、敵であり、その功績は意図的に軽視される。
なぜか。
セナを英雄視したいから。
それがフジのやり方である。
→正確にはメディアのやり口。
☆
実績を語りたいのであれば、
シューマッハと比較されるべきはアラン・プロストなのだ。
しかし、プロストはあまりに職業的なドライバーだったが故に
天才肌のセナと比べ「語りドコロ」が少なかった。
プロストは「プロフェッサー」の異名の如く、勝ち方を知っているドライバーだった。
一戦一戦だけではなく、年間を通して「いかにタイトルを取るか」を考えられる人だった。
セナの「音速」はすなわち「とにかく速い」という意味だ。
ポールポジションの回数を見ればそれは解る。
クリアな状態での速さ。それは疑いようも無い。
プロストは決して速いドライバーではなかった。
しかし、レースの中では非常に強いドライバーだった。
確実にポイントを獲り、表彰台に上がり、
レース全体の流れを見る。
その戦略、悪く言えば計算高い部分が、
セナと比較される時に忌避されてしまったのだ。
確かに日本GPでセナとプロストの接触という不運な事もあったけれど
それはお互いが勝利を目指した結果であり、
当時の風潮だった「プロストがぶつけた」事はあり得ないのだ。
確かにプロストは
「ゴール直前でガス欠になったマシンを自ら押してゴールした」
という逸話があるほど勝利に貪欲だった人だが、
だからといってライバルを蹴落とすような真似はしない。
そんな人がF1で走っているワケがないのだ。
☆
日本では
善=セナ、悪=プロスト
というイメージで、いかにも仲が悪そうであるが、
本人同士はそんな事もなく
プロストが引退したあと、セナはこう語った。
「アランが居ない(走っていない)のは寂しいよ」と。
☆
ちなみにシューマッハはただのバケモノです。
☆
[独り言] 夜更かし歴、なげぇな・・・