悲しさを感じる事



CROSS LINE3の更新を待っている人が居たらゴメンナサイ。
そう毎日更新出来るほど、筆が速くないのです。





久しぶりに、休日出勤で違う県に行った。


早朝の高速を降り、もの凄く拡い国道を走る。
風は冷たく、空気は澄んでいる。




ビルもマンションも無く、ただ道が続いていて
視線の先には空と山しか見えない。




あぁ、随分と遠くまで来たんだな・・・




ふとそんな物悲しい感情に包まれた。





もし、僕がこんなトコロで事故にでもあって、
免許証とか携帯とかが燃え尽きちゃって、
身元不明になんかなったりしたら、




ひっそりと、
友人の誰にも知られる事なく死んでいってしまうのかな






なんて思ったりもした。





生きていれば死ぬこともある。
だから死ぬこと自体には恐怖はない。


だって、仕方ないもん。




でも、
「死んでしまった事を知られない事」に対しては
恐怖というか、悲しさを感じてしまう。




例えば、このブログがいきなり更新されなくなったら、
「あ、バレたのかな?」とか「面倒になったのかな?」と思われるだろうけど
でも実は死んでしまっているのかもしれない。
それは誰にも分からない。




例えば、携帯にしか連絡先が入っていない友人なんか、
携帯が壊れてしまえば連絡が取れない。


その友人は何年かして知るかもしれないし
一生知らないままかもしれない。




例えば小学校の時の友人なんかは知らないままかもしれないし
それはそれで構わない。


僕だって、
小中高と同じ学校に通っていた何千もの人の生死にまで気を廻していられない。




でも、
仲の良かった人や、関わりのあった人には
やっぱり知って貰いたいし、少しくらいは哀しんでほしい。




高速を爆走していると、
ふと、そんな事を思ってしまうのです。
 →爆走すんなよ(笑






ま、でも
死んでしまったら、ねこたちを喰わしていけないので、
当分は死ぬ予定はありませんけれど。





[独り言] 長いなぁ