10・血族
□2006年6月・6□
いざ一人で家にいると、やることが結構あった。
でも、僕は元々が家事好きなのでそれは苦ではなかったし、
家に一人で居るというのも悪くなかった。
一人で起きて、一人で顔を洗って、一人で朝ご飯を食べる。
仕事をして、好きな時間に家に戻り、家事をして、ネコと遊ぶ。
ゆっくりお風呂に入り、W子に電話をし、眠くなったら寝る。
僕はそんな感じにマトモな生活を送っていた。
☆
ヨメさんは5日ほどで退院した。
僕は昼頃から病院へ行き、
ヨメさんと子供をクルマに乗せ、ヨメさんの実家へ向かった。
家に着くと、当然のように食事の準備がしてあり、
お祝い会になってしまった。
面倒だなぁ・・・
ヨメさんの実家での食事は毎回面倒だったけど
今回は格別に面倒だった。
向こうはお祝いする気が満々で「おめでとう」を言ってくるけど
お祝いされる側(つまり僕)が祝って欲しくなかったからだ。
「ぽんさん、ごめんなさいねぇ。1ヶ月も預かっちゃって」
とニコニコ顔の義母に言われたので、
「いえいえ、とんでもないです。ご面倒をおかけします」
なんて白々しく答えたけれど
いっその事、一生預かっててくれよというのが本心だった。
ヨメさんも義両親も義妹も義弟も甥も姪も*1
それはそれはお祝いムードで、みんな楽しそうだった。
まさに以前書いたヨメさん一族の家族結束運動の通りで、*2
そんな中、僕一人が血族的にも心情的にも精神的にも、一人っきりだった。
今までもそうだったし、その後も思い知らされる事になったけど、
僕は「ムスメのダンナ」であり「3人目の孫の父親」でしかなかった。
その事実は、僕をイヤな気持ちにさせると言うより
どちらかというと、安心をさせてくれた。
☆
ただ、
僕が仕事に行ってる間にヨメさんの親が家に来ている事に対しては
あまり良い感情は持たなかった。
昨年後半の半年間で考えても、少なくとも6〜7回は来ていたらしいが、
僕は一度たりとも顔を合わせた事がなかった。*3
家を買った時だって顔を見せに来なかったし、*4
そもそも、結婚した時の引越以来、一度たりとも僕の家で顔を合わせていなかった。
別に顔を見せない事にいまさら文句は無い。
しかし「僕が居ない時に来ている」という事に対して、ある種の気持ち悪さを感じていた。
そして、孫が出来た時から来るようになった事に対しては
ある種の「見切り」をつけるようになった。
そんなに孫が見たいなら、ヨメさん共々、連れて帰ってくださいなと。
☆
食事会は適当な所で切り上げないと、いつまで続くか分からなかった。
「明日も仕事があるので・・・」
と言って切り上げ、さっさと家に帰る事にした。
1時間ほどで家に着き、一息ついた所でW子に電話をした。
「ただでぃば〜」
「おかえりなさぁ〜い。大丈夫? 疲れたんじゃない?」
「うん、もうぐったぐたのねっちょねちょ(笑」
「何よ、ねっちょねちょ って(笑」
僕はW子の声を聴いて、やっと自分を取り戻した。
「自分を取り戻した」なんて思うほどに、神経がすり切れていたのだ。
「でも、また行かなくちゃいけないんでしょ?」
W子は不満そうにそう言った。
「うん。毎週じゃないけど、行かなくちゃ。ごめんね・・・」
「んーん、お勤めだもんね(笑」
「そうそう、お勤め」
実際、僕にとってそれはお勤めだった。
僕はヨメさんとその一族に対し、
「ちゃんと子供の様子を見に来ている父親」というスタンスを見せる必要があった。
それは「イイ格好を見せたい」という事ではなく
いざ離婚という時点で、僕の方の落ち度を極力無くしたいからだった。
だから弱味になるような事や、
つけいれられる隙を見せるワケにはいかなかったのだ。
後々「ぽんくん、子供を見になんて来なかった」なんて言われて
弱い立場になるのは避けなければならなかった。
僕にとってヨメさんの家に行くのは「お勤め」であると同時に、
後日、弱味を見せない布石であり
ヨメさんや子供に対して自然に接するのも
後日、子供に対して冷たかったよねなどと言われないための演技だった。
つまり、僕はこの時点で
ヨメさんにはもちろん、子供に対しても愛情を持てていなかったのだ。
☆
[独り言] 演技、カンペキ過ぎたのかも・・・