32・一生愛し続けるという事



□2007年2月・3□


「メールと電話、ありがとう。
 急だけど、今日の21時に○○駅に来れそうですか?
 私も仕事、終わらせるようにがんばるから」




確かに急だったけど、
僕にはそれに対して異論も反論も無かった。


あるワケが無い。




僕が「会いたい」と望んだのだ。
W子が会ってくれるだけでも嬉しかった。


「もちろん大丈夫だけど、何処かお茶出来るようなお店開いてるかなぁ。
 僕は何処でも良いけど、なんだったらいつもの喫茶店にする?」


僕はそう提案を出した。
2月の寒い夜空の下、立ち話をするのも大変だし、
暖かいカフェオレでも飲みながら話がしたかった。




でも、W子の返事はその提案を退けた。


「ちょっと事情があって、今週は家で夕飯を食べるから、
 お店に入る余裕が無いんだ。ごめんね。21時には着けるようにするから
 仕事終わったら連絡するね」




事情?
なんだろう、事情って。






「ひょっとして、その好きな人と、もう付き合っていて、
 連日午前様とかになって、さすがに親に怒られたんじゃないだろうか」
僕はそんなイヤな想像をした。




でも、そんな事は聞けないし、肯定されるのもイヤだった。


「まぁ、家でゴハンをちゃんと食べるのは良い事だよね。
 でも、リョーカイです。
 って事はあまり時間が取れないのかな・・・
 なんだったらW子の最寄り駅でも良いよ。
 ま、とりあえず、仕事終わったら連絡下さいな〜」





W子からメールが届いたのは21時を過ぎてからだった。


「ごめん、今終わった。これから○○駅に向かいます」


それは最初にW子が僕に伝えた場所だった。
結局、僕の提案は全て退けられてしまった。





とは言え、外にいるのは余りに寒いので
地下の改札で話をする事になった。




「お疲れさま」
久しぶりに会ったW子は、疲れ切ったような顔をしていた。


仕事が忙しいのだろうか?
ちゃんとゴハン食べてるのかな?
きちんと寝てるのかな?


僕はそんな心配をした。




「一つ、聞いて良い?」
僕とW子は、壁際に立って話をしていた。




「・・・・・なに?」


「その、好きな人とは、もう付き合ってるの?」


僕は一番聴きたくない事を聞いた。
その答えを聴きたくはなかったけれど、


聴かない事には諦める事も出来なかった。




「うん」
W子のその答えは予想通りだった。




「そっか・・・・」
正直、随分と早くないか?
とは思ったけど、僕にはそれを口にする資格はなかった。


早かろうが遅かろうが、原因を作ったのは僕だったのだ。


「今は毎日が楽しいの?」
「うん」


うん と答えた割には、彼女は沈んだ顔をしていた。




「こっち向いてよ」
僕は下を向いたまま、視線を合わせようともしないW子にそう言った。




「ぽん、背が高いから首が疲れちゃうよ(笑」
W子はそう言って、初めて僕の顔を見た。


「ははは、彼、背が低いの?」
「うん、あまり高くない」
「へ〜」





僕はその時、
もう、何もかもが否定されている気分になっていた。




ふーん、背が高い事すらイヤだったんだ。
へ〜
悪かったね、背が高くてさ。




そんな気分だった。





「あのさ、僕、ずっと考えてたの。どうしたらW子とやり直せるか。
 でも、もう諦めるよ・・・
 僕にとってさ、W子って、人生の全てだったの、本当に。
 僕がW子を幸せにしてあげたかった。
 でもね、それはもう出来ないし。
 だから、W子が幸せになってくれる事が、今の望み。


 でも、僕はどんな状況になっても、W子を愛し続けるよ。
 僕は一生、愛してる。それだけは心の隅で覚えておいて欲しい」


僕はそんな綺麗事を言った。
綺麗事を言ってしまうくらい、僕は挫けていたのだ。




W子は黙ったまま、また下を向いていた。


「それと、年末頃からの事、ごめんね。
 ホント、かなり酷かったよね、僕」


僕はメールの事とか、キツく当たっていた事を謝った。


謝っても仕方ないかもしれないけれど、
僕はきちんと謝っておきたかったのだ。




W子は少しだけ僕を見て
「いいよ、もう、その事は」


と言って笑った。






W子は確かに笑った。




ただし、それは冷笑だった。




その冷笑は、あまりに冷たい表情だった。




僕がそれまでの人生の中で見た、
最も冷たく、残酷な冷笑だった。




僕は一生、その表情を忘れる事が出来ないだろう。


そして、その冷笑が、
W子のそれまでの苦しさを現しているような気がした。





「で、彼は会社の人?」
僕はそれも聴きたかった。


「言わない」
「ふーん、会社の人なんだ(笑」
「違う」
「じゃぁ、どこの人?」
「・・・・・・」


「やっぱ、会社の先輩だ(笑」
「・・・いろいろあるの」




いろいろ?
なんだ、それ




僕は不思議に思ったけど、それについては何も言わなかった。




「ふ〜ん。相談してるウチに好きになられたの?」
「うん」


ちっ、やっぱそうか。


僕はあまりにも陳腐な経緯に舌打ちをしたくなったけど、
その陳腐な展開に向かわせたのが僕自身だった。


結局、僕は僕自身に対して舌打ちをしていた。




やれやれ。
イヤな想像はどんどん当たるもんだな。




「ま、いいや、相手はだれだって」


本当は良くなかったけど、
それ以上聴いても、答えてくれるはずがなかった。




そして、僕は一番謝らなければならない事をW子に伝えた。




「あのさ、P子の名前なんだけどさ、
 ホントはW子が自分の子供につけたかった名前なんでしょ?
 ごめんね、ホントにごめんね・・・」




僕はずっとそれが気がかりだった。
いつかきちんとW子に謝らなければならないと思いつつ、
結局、その日まで謝れずに居たのだ。


W子は無言のままだったので、僕は言葉を続けた。
「ずっとね、それが気がかりだったの。
 無神経でごめん、W子が大事にとっておいた名前を使っちゃってごめんね」


そして、その時、
僕は初めて泪を流した。





W子に別れを告げられた後、
僕は毎日泣きたい気分だったけど、一滴の泪を流す事もなかった。


泣ければどんなに楽だろう


そう思ったけど、泣くことが出来なかった。




でも、その時、初めて泪を流した。
それは一瞬の事だったけど、それでも泪を流す事が出来た。
まだ、僕の泪は枯れていなかった。




「それは違うよ」W子は僕を見ながらそう言った。


「ぽんがP子って付けてくれた事は、本当に嬉しいの。
 P子って名前だから、私は最終的にP子を愛する事が出来たの。
 他の名前じゃなかったら、私は絶対に愛せなかったもん」


それを聴いて、僕はまた泪が出てきた。




W子は、とても優しいのだ。
僕なんかには勿体ないくらい優しく、純粋で素晴らしい女性なのだ。




あるいは、
それは「女性から見た、新たなる命」への想いだったかもしれないけれど
W子がそう言ってくれた事はとても嬉しかった。


「ぽんが私の幸せを望んで、一生愛してくれるって言うけど
 私は一生P子を愛し続けるよ。
 私の望みは、P子が幸せになる事だよ。
 だから、P子を不幸にしたら、私はあなたを絶対に許さないから」*1


そう言ってW子は、初めて自分の意志で僕の目を見た。
その瞳は、とても強い決意と想いを秘めていた。


その理由を僕は知っていた。
W子は、いくつかの事情から「新しい命」に対して思い入れが深いのだ。




僕はそれをとても良く理解していたから、素直に頷いた。
「分かった。P子を不幸にする事はしない」と。

*1:もう「ぽん」ではなく「あなた」だった