15・記憶
□2007年2月・19□
「愛され方も知らないぽんさんが、愛し方なんてわかるわけが無いじゃないですか」
そう言ってK子は僕を見た。
「ぽんさんの穴はソコなんです」
そう言ったK子は、僕の胸に人差し指をくっつけた。
「ご両親に愛されていないと指摘されても、なんとも思わないその心が穴なんです」
あぁ、そうなのか。
僕はK子の言わんとする事がやっと理解出来た。
愛を知らないとか、愛し方がわからないとか、
そういう事は関係なく、
僕の、悪い意味での心の強さが穴なのだ。
親に対してすら一線を引いて、それに対してなんとも思わない、
その乾ききった強さが穴なのだ。
「ぽんさんが子供の頃に何があったかまでは分かりませんけど、
ご両親との間に壁を作る何かがあったんだと思います」
「たぶん、そうなんだろうね」
僕はそう答えた。
「ぽんさんは、なんでそんなに乾ききってるんですか?
どうしてそんなに悲しさを感じ取れないんですか?
なんで自分に対して、変な部分で厳しいんですか?」
そう言ってK子は僕を抱きしめた。
僕はK子の暖かさを感じると同時に、
居心地の悪さも感じていた。
「ぽんさん」
僕の背中の方からK子の声が聞こえた。
「なぁに?」
「なんで、そんなに頑ななんですか?」
「わかんない」
「なんで、そんなに哀しいヒトなんですか?」
「ははは、わかんない」
「ぽんさん」
「ん?」
「最期に泣いたのはいつですか?」
「いつだろう」
「人間は、哀しい時には泣いても良いんですよ?」
「うん」
僕はそう答えたけれど、最期に泣いたのがいつだったか
思い出す事が出来なかった。
確かに涙を流した事はある。
W子と最期に会った時も、些末な涙を流した。
でも、それは哀しさの涙ではなく、後悔と謝罪の涙だった。
僕は別に「男は嬉しい時に泣け」とか
そういった下らない価値観は持っていない。
哀しさを感じ取ったり、
感情が溢れだして泣く事が無いだけなのだ。
「ぽんさんは、感情表現がヘタなんですよ、きっと」
K子はそう言ったけれど、きっとその通りなんだろう。
☆
「ぽんさん、小さい頃からの事、思い出せるだけ思い出してみてください」
しばらくして、K子はそう言った。
喫茶店では殆ど思い出せなかったが、
今は時間もたっぷりあるし、ゆっくりと思い出す事が出来そうだった。
「一番古い記憶は、祖父が亡くなった時の事かな?」
「何歳の時ですか?」
「二歳の時」
「どんな風に覚えてるんですか?」
「んとね、覚えてるって言っても、些細な事だよ。
親戚から電話を僕が受けて、母親に代わったら泣きだしたの」
「それで?」
「それだけ(笑」
僕には「母親が泣き出した」という記憶と
「泣いた母親の頭を撫でた」という記憶だけが残っていた。
成長してから、それは祖父が亡くなった連絡の電話だった事を知り、
それで母親が泣き出したのだと知った。
それが僕の一番古いだった。
「他には何か覚えている事ってありますか?」
K子はそう言って僕の記憶を探った。
「その後は記憶と知識がごっちゃなんだよね」
僕は笑いながらそう答えた。
つまり、記憶として覚えている事と、
成長してから
アルバムで観たり、親との会話の中で知った「出来事」として知っている事が
ゴチャゴチャになっているのだ。
「それでも良いからどんどん言って下さい」
K子はそう言った。
☆
「4歳くらいの時かな?
お風呂上がりに一人で外に出て、そのままバスに乗って遠くの団地に行った事がある」
「あはは、何ですかそれ」
K子は笑いながらそう言った。
僕はその事を全く覚えていないのだけど、
後から聞いた所によると、僕はネマキのまま外に出て、
一人でバスに乗って、終点の団地で保護されていたらしい。
バスの事務所で保護された僕は
名前と住所と電話番号を正しく伝え、それで親が迎えに来た
ということだった。
でも、僕にはその記憶が全く無く、
後日、笑い話として親から聞かされたのだ。
「じゃぁ、もちろんその時の気持ちとか覚えてないですよね?」
話を一通り聞き終えたK子は僕にそう聞いた。
「うん。まったく覚えてない」
「んー、そうですかー。他には何か覚えてますか?」
「そうだなぁ。親戚と旅行に行くと、父親が来なかった事を覚えてる」
「旅行自体の事じゃなくて?」
「うん。その頃、父親は平日が休みだったらしくてね。
だから旅行には来なかったみたい」
「へ〜。他には何か覚えてますか?」
「そうだなぁ。後はもう小学生の時の事とか、中学の時の事だよ」
僕はそう答えながら色々と思い出そうとしてみたけれど、
記憶が欠落している事は事実だった。
家族旅行に行った事は知っている。でも、その記憶は無い。
あったとしても、そこには親戚が居たり、親の友人が居たりした。
つまり、何かしらのイベントがあり、
その時の思い出話や、写真によって微かに記憶として残っているだけだった。
逆に言えば「家族三人」での記憶というのは一切無かった。
僕と父親の記憶は少しある。
僕と母親の記憶は少しある。
でも、家族三人での記憶は、何も無かった。
しかし、やはり僕は哀しくなかった。
これがK子の言う「穴」なんだろうな
僕はそう思いながら、昔話を続けていた。