24・指輪



□2007年2月・28□


「ところでさ、父さんと母さんはいつ頃から仲が悪かったの?」
「そうねぇ、最初からかな」母親は少し考えながらそう言った。
「最初から?」僕は驚きもせず、聞き返した。
「そう。最初っから。結婚した時から、あの態度が気に入らなかったわ」
そう言って母親は笑った。


やっぱりそうか。
僕がここ数日で導き出した結論は、やはり正しかった。




「ふーん、そうだったんだ」
「そうよ。最初っからエラそうで上からモノを言って抑えつけて」
「あはははは」僕は笑った。




結局、僕の両親はそもそも「合う相手同士」ではなかったのだ。
そう考えると、よくまぁ20年近く続いたもんだと感心した。





僕は母親を送り届けた帰り道、車を運転しながらいろいろ考えた。


自分で導き出した答えと、母親からの話と、K子との会話で出てきた内容を総合し、
僕自身の「姿」のようなモノをある程度把握した。


僕がどうやって成長してきたか。
僕がどうやって育てられてきたか。
僕がどうやって周りの人たちと接してきたか。




そうやって一つ一つ自分を振り返ってみると、
K子の言うように、かなり厄介な性格をしているんだな と自覚した。


ある部分に於いては寛容で
ある部分に於いては矮小で
ある部分に於いては素直で
ある部分に於いては頑固だった。


もちろん、誰しもそういう傾向はあるのだろうけど、
僕の場合、いささか極端すぎるのかもしれなかった。






K子は「ぽんさんの下では働けないかも」と僕に言った。
「なんで?」と聞き返すと


「怖いんですよ。怒ったりしないだろうけど、厳しくて冷酷で斬り捨てられそうで」
と言った。


「そうかなぁ」と僕は言ったけど、心の何処かで納得もしていた。




僕はなれ合いで仕事をするのがキライだったから
どんなに仲の良いクライアントとの仕事でも「NO」を言う事があった。


大人な仕事をする人は、そこでNOを言わないのだろうけど、
僕には僕の仕事のやり方があるし、それを曲げる事は出来なかった。


仕事で雇ったバイトに対しても厳しい部分がかなりあったし、
支社の部下に「厳しすぎます」とキレられた事だってあった。


僕としては「仕事は仕事」という割り切りをしていただけだったのだが、
そのハードルが高かったのかもしれない。




そして、それは仕事だけではなく、
あらゆる部分に於いて「自分基準」を相手に求めていたのかもしれない。




それは、僕が「自分自身だけで」成長してきたことが原因なのだろう。
僕は、色々な意味で他人の価値観を理解する事は出来ても、それに合わせる事をしなかった。


親の価値観を理解しても、それに合わせようとはしなかったし、
自分自身だけを信じて成長してきたのだ。




□2007年3月・1□


3月に入ったとある週末、僕は結婚指輪を無くした。
それはまったくの不注意からだった。




僕は普段、本物の結婚指輪は使っておらず、2千円くらいの安物を使っていた。
本物は家に置いてあり、冠婚葬祭の時にだけ使っていた。


安物の方を使っていたのは、
サイズが少し大きくて、付け外しに便利だったからだった。


僕は仕事の時は指輪をつけていなかったから、
朝、家を出ると指輪を外し、家の鍵のキーホルダーに引っ掛けておいたのだ。




その日、僕は仕事帰りのバスに乗る直前に、たまたまキーホルダーを外した。
その時に指輪が外れ、転がっていった。


僕は「キンっ」という金属音で指輪が落ちた事が分かったが、
そのまま無視してバスに乗り込んだ。


いちいち探すのも面倒だし、別に無くしたって構わないや
そう思って、無視をした。




僕はバスに乗った後、家に帰ってからの事を考えた。


なんで指輪が無い だの
探したの? だの
色々と面倒な事になりそうだった。




バスの発車まで時間があったので、僕はバスを降りて指輪を探した。


しかし、アスファルトは暗く、排水溝もあり、
何処に指輪があるのかなんて全く分からなかった。


20秒ほど辺りを見回して僕はアッサリと諦めた。
きっと本気で探す気はなかったのだ。




ただ「落としたけど探した」という「事実」を作りたかっただけなのだ。




僕はまたバスに乗り込んで家に帰った。





さて、ヨメさんに何て言うかな。


「バスを乗るときに落としちゃってさ。探したんだけど見つからなかった」
って感じかな。




やれやれ。
ただの言い訳だな。


そう思いながら、僕はため息をついた。




そして、まったく指輪を探す気にならなかった事により、
自分自身の「考えの方向性」が改めて分かった気がした。






もう、指輪なんて要らないんだ。


僕は、そう思った。