28・ボタン



□2007年3月・5□


「じゃぁ、すぐにでも出て行けって事?」
ヨメさんは少し冷静になったようで、「その後」の事を聞いてきた。




「いや、そうは言ってないよ。すぐには無理でしょ、どう考えても」
僕は少し笑いながらそう言った。




「そうしたら、暫くは住まわせて貰って良いのね?」
「うん」僕は簡単にそう答えた。




「・・・ねぇ、聞いて良い?」
ヨメさんは改めてそう言った。




「なに?」
「なんで「今」なの?」


僕はヨメさんの言っている意味が分からなかったので
「今? 今ってどう言う意味で?」と聞き返した。




「どうしてこのタイミングなの? P子だってまだ1歳にもなってないんだよ?」
確かにその通りだった。
恐らく、タイミングとしては最悪なのだろう。


しかし、僕自身はもう限界に来ていたのだ。
この「家族」で過ごす事に、限界を感じていたのだ。


「どうして って言われてもなぁ。正直な事を言えば、遅すぎたくらいだよ」
「遅すぎたって?」ヨメさんは聞き返した。




「ん・・・ あのさ、実際にはもっと前から限界は感じてたんだよ。
 でも、そのうちなんとかなるんじゃないか? って甘い考えで生活してただけなんだよ。
 でも、P子が出来て、それで「もう少し頑張ってみよう」って思ったんだけどね。
 だけど結局ダメで、それで今こうやって話てるって事なの。
 だから僕の中では遅すぎたんだよ」


僕は少しウソの混じった事を言った。
もう少し頑張ってみよう なんて事は思った事も無かった。




僕は最初から最後まで結婚生活を終わらせる事しか考えていなかった。





「わたしと結婚した事を、間違いだったって思ってる? 失敗したって思ってる?」
ふと、ヨメさんはそう聞いてきた。




「ん・・・ 間違いだったとは思ってないよ」と僕は答えた。
「本当に?」
「うん。間違いだったとは思っていないし、今までの事に感謝もしてる。
 ただ、結果として噛み合わなかったんじゃないかな、とは思ってる」


ヨメさんは黙ったまま僕の言葉を聞いていた。




僕は話を続けた。


「つまりさ、ボタンのかけ間違いみたいなもんなんだよ。
 服を着て、ボタンをかけた事は間違いじゃないけど、どこかでボタンがズレちゃったんだ。
 で、何だかんだでそのままボタンをかけ続けて、それに気づいていながら直そうとしなかったんだよ、お互い。
 僕の言いたい事、わかる?」


「うん。わかる」そう言ってヨメさんは頷いた。


「そのかけ間違えたボタンをすぐ直す夫婦もいれば、掛け間違えない夫婦もいる。
 僕は、掛け間違えたボタンがそのうち元に戻るって思ってたんだね、きっと。
 でも、そんな都合の良い話が有るわけがなくて、何処かでハッキリさせなくちゃいけなかったんだ」




僕が言い終えると、ヨメさんはうっすらと涙を浮かべたまま黙っていた。


「きっと、私が何を言ってもあなたの考えは変わらないんでしょ?」
さすがに付き合いだして10年近くになるだけあって、僕のそういった性格を良く分かっていた。


「うん。僕自身の中ではもう答えが出ている」
つまり、それは最終的には離婚する という答えだ。


「でも、私に時間を下さい。アナタは考え抜いて出した答えなんだろうけど、
 私はこれから考えなくちゃならないんだから」


「うん。それは分かってる」





その日の夜、僕は自分の部屋でヨメさんと交わした会話を思い出した。




僕が言った事が正しいのかどうか分からなかったけど、
これによって、これからどうなるにせよ何か動きがあるのは確かだった。
そういう意味では、停滞し続けてきた今までよりはマシな筈だった。




僕とヨメさんは、
今まで「話しをしなさ過ぎた」し、真剣に向き合ってこようともしなかった。


これが最初で最後の「向き合った話」になるのかもしれなけれど、
向き合う事もせずに惰性で生き続けるよりマシな筈だった。




或いはそれは僕の勝手な正当化かもしれなかったけれど、
何が正しくて何が間違っているかなんて誰にも分からなかった。




ただ一つだけハッキリしていた事は、
これで何か変化があるだろうという事だけだった。