手向け



とある伝統工芸師から頂いた小さな切子のグラスに、僕は日本酒を注いだ。
僕はそのグラスを少し曇った夜空に掲げ、一呼吸置いてから地面に振りまいた。


空になったグラスにもう一杯注ぎ、僕は持ってきたイスに腰を掛けた。
一口飲んで僕は空を見上げ、タバコに火を点けた。




なんだか随分とセンチメンタルな事をしてるな と思ったけれど、
告別式も終わっていて、線香をあげに行く事も出来なかったので、
これは僕なりの「死者への手向け」だった。





旧い友人の死を知らされた時、僕は哀しさより切なさを感じた。
友人はまだ28歳でダンナと子どもが居た。


もう何年も親交が途絶えていて、年賀状だけのやり取りな間柄だったけど、
10年ほど前はとても仲が良く、大事な友人の一人だった。




僕に友人の死を知らせたそのメールはとても事務的な内容だった。
その数行の中に「自殺でした」と書かれていた。




そうか、自殺か。




僕はその一言に切なさを感じた。




友人は、10年かけてゆっくりと「死」を選んだのだ。





僕がその友人と知り合った時、彼女はまだ16歳で僕は23歳だった。
なかなか変わった感性と性格の持ち主で、面白い子だった。


幾つかの共通の「好み」があったせいか、
たまにお茶をしたり電話をしたりしていた。




知り合ってから1年ほどした時、彼女は打ち明け話をした。


生きているのが辛い
死にたい
何度も死のうと思った






何でそう思うの? と僕は聞いてみた。


彼女は言いづらそうに色々な話をしてくれた。
その内容はとても荒唐無稽だった。




他の友人たちは
「そう言って心配させて、構ってもらいたいだけじゃないの?」
という反応だったし、僕もそう思っていた。


だけど、1%でもそれが真実である可能性が残っている限り、
僕はそれをホラ話として斬り捨てる訳にはいかなかった。


彼女がどんな無茶苦茶な事を言っても、
それの真偽は彼女にしか分からないし、僕は信用するしかなかった。


実際、彼女は自傷癖があったし、
真偽はともかく、海にだって飛び込んだ事があった。




まぁ、思春期特有の事だろう
と思いつつ、僕は励ましたりしていた。





数年前には結婚のお知らせが届き、翌年には出産の報告も届いた。


あぁ、穏やかに過ごしているのかな?
と思い、僕は昔の事などすっかり忘れていたし、
最後に会った時も、元気な笑顔を見せてくれていた。




そして、彼女は自殺した。




その原因が、10年前のモノと同じかどうか分からないが、
彼女はその「何か」から逃げ出す事が出来なかった。


その「何か」に足首を掴まれたままだった。
結婚も出産も、その「何か」に打ち勝つ事が出来なかった。
彼女にとってその「何か」から逃れるには、死を選ぶしか無かった。






そう考えると、僕はとても切なくなった。
哀しさよりも「結局逃げ出す事が出来なかったんだ」と切なくなった。





僕は今までに親族を除くと4人の訃報を受け取った。
そのうち、3人が自殺だった。


みんなそれぞれ「何か」を抱えて死んでいった。
その悲痛な想いを全て知る事は出来ない。


僕に出来る事は、その重さを受け止める事と
その人たちが出来なかった意志を受け継ぐ事だけだ。


それは、当人に代わって何かをやるという事ではなく、
死の原因となった「何か」を自分なりに考え、行動する事だった。





僕は日本酒を飲み干すと、彼女のためにもう一杯注いだ。
そしてまた地面に振りまいた。




お疲れさま。ゆっくりと休んでね。




僕はそう思い、もう一杯だけグラスに注ぎ、
ゆっくりと飲み干した。






じゃぁ、またね。




僕は夜空を見ながらそう呟いた。