手向け
とある伝統工芸師から頂いた小さな切子のグラスに、僕は日本酒を注いだ。
僕はそのグラスを少し曇った夜空に掲げ、一呼吸置いてから地面に振りまいた。
空になったグラスにもう一杯注ぎ、僕は持ってきたイスに腰を掛けた。
一口飲んで僕は空を見上げ、タバコに火を点けた。
なんだか随分とセンチメンタルな事をしてるな と思ったけれど、
告別式も終わっていて、線香をあげに行く事も出来なかったので、
これは僕なりの「死者への手向け」だった。
☆
旧い友人の死を知らされた時、僕は哀しさより切なさを感じた。
友人はまだ28歳でダンナと子どもが居た。
もう何年も親交が途絶えていて、年賀状だけのやり取りな間柄だったけど、
10年ほど前はとても仲が良く、大事な友人の一人だった。
僕に友人の死を知らせたそのメールはとても事務的な内容だった。
その数行の中に「自殺でした」と書かれていた。
そうか、自殺か。
僕はその一言に切なさを感じた。
友人は、10年かけてゆっくりと「死」を選んだのだ。
☆
僕がその友人と知り合った時、彼女はまだ16歳で僕は23歳だった。
なかなか変わった感性と性格の持ち主で、面白い子だった。
幾つかの共通の「好み」があったせいか、
たまにお茶をしたり電話をしたりしていた。
知り合ってから1年ほどした時、彼女は打ち明け話をした。
生きているのが辛い
死にたい
何度も死のうと思った
何でそう思うの? と僕は聞いてみた。
彼女は言いづらそうに色々な話をしてくれた。
その内容はとても荒唐無稽だった。
他の友人たちは
「そう言って心配させて、構ってもらいたいだけじゃないの?」
という反応だったし、僕もそう思っていた。
だけど、1%でもそれが真実である可能性が残っている限り、
僕はそれをホラ話として斬り捨てる訳にはいかなかった。
彼女がどんな無茶苦茶な事を言っても、
それの真偽は彼女にしか分からないし、僕は信用するしかなかった。
実際、彼女は自傷癖があったし、
真偽はともかく、海にだって飛び込んだ事があった。
まぁ、思春期特有の事だろう
と思いつつ、僕は励ましたりしていた。
☆
数年前には結婚のお知らせが届き、翌年には出産の報告も届いた。
あぁ、穏やかに過ごしているのかな?
と思い、僕は昔の事などすっかり忘れていたし、
最後に会った時も、元気な笑顔を見せてくれていた。
そして、彼女は自殺した。
その原因が、10年前のモノと同じかどうか分からないが、
彼女はその「何か」から逃げ出す事が出来なかった。
その「何か」に足首を掴まれたままだった。
結婚も出産も、その「何か」に打ち勝つ事が出来なかった。
彼女にとってその「何か」から逃れるには、死を選ぶしか無かった。
そう考えると、僕はとても切なくなった。
哀しさよりも「結局逃げ出す事が出来なかったんだ」と切なくなった。
☆
僕は今までに親族を除くと4人の訃報を受け取った。
そのうち、3人が自殺だった。
みんなそれぞれ「何か」を抱えて死んでいった。
その悲痛な想いを全て知る事は出来ない。
僕に出来る事は、その重さを受け止める事と
その人たちが出来なかった意志を受け継ぐ事だけだ。
それは、当人に代わって何かをやるという事ではなく、
死の原因となった「何か」を自分なりに考え、行動する事だった。
☆
僕は日本酒を飲み干すと、彼女のためにもう一杯注いだ。
そしてまた地面に振りまいた。
お疲れさま。ゆっくりと休んでね。
僕はそう思い、もう一杯だけグラスに注ぎ、
ゆっくりと飲み干した。
じゃぁ、またね。
僕は夜空を見ながらそう呟いた。