1・ビジネスと正義



宗教とは何か。
すんげぇ微妙なテーマですな、これは。




何か って言われても、答える事は出来ない。
僕は「自分自身の中に、一本の芯を通すもの」として捉えている。


つまり、行動原理とまでは行かないまでも、精神骨格の筋となる部分だ。




しかし、宗教というと黒いイメージがつきまとう。
イスラム原理主義だったり、オウムだったり、壺売りだったり。
 →あえてS会は書かない。


そして「宗教は心の弱いヤツがやる」という見解もある。




しかし、心の弱い人が嵌るのは、宗教ではなくある種の新興宗教であり、カルトである。
宗教全てを対象として「=心が弱い」としてしまうと、
ダライ・ラマ14世猊下ローマ法王、極端な事を言えばキリストだって釈尊だって弱い人になってしまう。




つまり、宗教には二種類あって、一つは精神骨格としての宗教。
そしてもう一つは支配やビジネスを目的とした、信者をコントロールするための宗教。
前者は日本古来からある自然を対象とした神道や、普通にある仏閣、生活に根付いたキリスト教などだ。
そして後者は中世のローマ帝国のようなキリスト教や、新興宗教の中でもカルトと言われるものがそうだ。


この二種類の見分け方は意外と簡単である。
前者は基本的には「教義」があって、それを伝えるのがトップの努めである。
しかし後者はトップの人物を絶対的な正義として崇拝する。つまり、教義よりも現存する人物が重要とされる場合だ。




簡単な例として、
ダライ・ラマ14世猊下は「私は釈尊の弟子の一人に過ぎません」と発言している。
オウムの麻原は自分が神であり、正義であった。




極論すると、その宗教が自らを「正義」と謳っている場合、
殆どの場合が後者、つまり信者の支配・ビジネスを目的とした「ビジネス宗教」なのである。




□お断り□
これは学術的な考証ではなく、僕の思考を書いたメモである。
よって、正誤を確認する事も数字やデータを示す事もしない。あくまでも、ただのメモである。