命日



今週は、昨年亡くなった友人の命日がある。


弔い酒を買いました。小さい瓶の上善水如。
ちょいと好みに偏ったけど、まぁ、赦しておくれ、友達よ。


去年と同じ様に、極上の切り子グラスにいれて飲むからさ。





僕の周りに、一人鬱病持ちがいるんだけど、たまに「死にたくなる」と言ってくる。


大抵は仕事でイヤな事があった時とか、
自分の思い通りに物事が進まなかった時とか、
自分の考えと他人の考えに違いが出た時とかなんだけど。


まぁ、逃避ですけどね、それで「死にたい」ってのは。




これは個人差があるけど
「ま、そーゆー時もあるよね」で済ませられれば、どんなに楽な事かと思う。


自分自身の正しさを、なんの疑いもなく信じている人には
なかなかそうはいかないらしい。
つまり0か1という区分け。




僕はアナログだから、0も1も0.5もそれ以外も「アリ」なので、
そういった逃避とは無縁だと思う。





その鬱病持ちの子の場合は、甘っちょろい逃避からだけど、
死んでしまった友人の場合は、もっとハードな事が原因だったのだと思う。
もちろん真実は知らないし、分かりたくも無いけど、想像はついている。


どっちがツライかは本人たちにしか分からないけど
そのハードさから比べたら「仕事でイヤな事があった」なんて、本当に些細な事だ。




でも、物事の捉え方をちょっとだけ変えれば、あっけなく解決する事も多々ある。
僕はその事をいつも伝えるんだけど、それを受け入れようとはしない。
自分の正しさを信じ切っているから。


それでも辛抱強く発想の転換をアドバイスする。
それを実行しないまでも、考え方の一つとしてインプットしてもらえれば、
何かの拍子にスっと楽になるかもしれないから。




僕はもう、身の回りで自殺されたくはない。
ま、これはエゴですな。