一番大切な事・3:ありがとう



仕事を定時で終えた僕は、待ち合わせの駅に向かった。


早く会いたい。
すごく会いたい。
でも、会うのが怖い。
そんな心境だった。


改札を出たその先に、彼女は立っていた。








「おつかれ〜」と僕。
「おつかれぇ」と彼女。
「体調の方はどう?」
「うん、大丈夫だけど、ちょっとフラフラするかな」
「そっかそっか。じゃぁゆっくり歩こうか」
「うん」


そう言って僕は歩き出した。


「あ、手、どうしよっか。繋ぐ?」
僕は右手を彼女の前にそっと出しながらそう言った。


「えー、どうしたい?」
彼女はイタズラっぽく笑いながらそう言った。


「じゃぁ繋ぐ(笑」
僕は彼女の左手を取ってゆっくり歩き出した。





食事を終え彼女の家に着くと、部屋の中はネコたちが荒らしまくっていた。


「ちょっとゴメン。先に掃除したい(笑」
「だよね。僕も手伝うから、やっちゃおっか」
僕はコートを脱ぎ、散らかった部屋を片付け出した。
ゴミはまとめてゴミ箱へ。
散乱していたプリクラや何かのチケットなどは棚の上へ置いた。




一段落し、僕と彼女は低いベッドの上に座った。


「じゃぁ、とりあえずお疲れ様という事で(笑」
そう言って軽いお酒で乾杯をした。




「どうしようか。どうやって話していけば良いんだろ。
 すぐ話した方が良いのかなぁ。もう少し後にする?」
先に口を開いたのは彼女の方だった。


「ん・・・・ じゃぁ僕の方から話した方が良いかな?」
「どっちでも良いよ」
「じゃぁ、僕の方から話すね」
そう言って僕はお酒の缶をテーブルの上に置いた。




「そうだなぁ。何から話そう。
 んとね、メールでも出たけど、もう一度ちゃんと言わせて。
 この2ヶ月くらいさ、色々と負担をかけさせちゃってゴメンね」
僕はまず謝る事から始めた。


「んーん。アタシの方が負担かけさせちゃったよ。
 すっごくイヤな事をたくさんしたもん。ヒドい女って思ったもん。
 ごめんね、ぽんも辛かったでしょ?」
そう言って彼女も僕に謝った。


「ん・・・
 まぁ、僕の方は良いんだ。そりゃまぁキツかったけど、良いんだ、それは」
「そうなの?」
「うん。でも、この話はもうここまでね(笑
 さっきのメールみたく、堂々巡りになっちゃう(笑」
「うん、そうだよね(笑」




「で、だ」
僕は彼女の方に体を向けて姿勢を改めた。


「そうだなぁ、まずはね、ありがとう って言いたい」
「え? なんで? 何か感謝されるような事した?」
彼女は笑いながらそう言った。
F香としては、嫌われるような事をしたりしてきたつもりだったのでそんな反応は当然だった。




「ありがとう、ってのはね。
 F香に逢えた事に対してのありがとうなの。
 F香を好きになれた事に対してありがとう。
 僕の事を好きになってくれてありがとう。
 大事に思ってくれてありがとう。
 そんな事に対してのありがとうなんだ」


「私も、そういった意味ではすごく感謝してるんだよ。
 たくさん好きになれたし、たくさん好きになってくれて、すっごく嬉しい。
 ホントにホントに感謝してるよ」


「うん。ありがとう。
 あとね、こないだ離婚するって話をしたでしょ? それについても感謝してるんだ。
 僕さ、何年か前に離婚を考えてヨメさんに話をして、それっきりだったんだ。
 妥協してたというか、誤魔化して生きてたと思うんだ。
 だけど、F香に会う事が出来て、ちゃんと考える事が出来るようになったの。
 そのキッカケをくれた事にも感謝してるんだー」


「うん。ちょっとビックリしたけどね」
彼女はそう言って笑った。


「ね、F香」僕は彼女の両手を取って呼びかけた。
「なぁに?」彼女は僕の目を見てそう答えた。




「ありがとう。本当にありがとう」
そう言った瞬間、目の奥から涙があふれ出そうになった。
僕はそれを誤魔化すために、彼女の肩に顔を押しつけた。
でもダメだった。
感情が、涙と一緒にどんどん溢れてきてしまった。
僕は彼女の肩に顔を埋めたまま、ずっとありがとうと言っていた。


「私だって・・・」
そう言った彼女の声も涙で震えていた。
彼女は僕の背中に手を回し、強く僕の事を抱きしめた。
「ありがとう。私の方こそありがとう」


僕と彼女は、しばらくの間抱きしめあったまま
ありがとうと言い続けていた。





暫くしすると二人とも落ち着いて、体を離した。


「この先の事なんだけどね」
今度は僕が先に口を開いた。


「どんなカタチになろうとも、僕は縁を切りたくない。
 と言うか、無理。縁は切れないよ(笑
 普通の友達になるのか、違うのか分からないけど、縁は切りたくない。
 僕にとって、F香の存在はそれだけデカいんだ」


「うん。私も縁は切りたくないの。
 でも、どういう関係が良いのか、ってなると良く分からないの。
 たぶん、普通に普通の友達関係ってのが良いとは思ってる。
 きっとね、ぽんとはもうデきない*1と思うだろうし・・・」


「うん。その辺は、まぁ仕方ないと思うよ(笑」
僕はそう言って笑った。


「あのね、私は本当にぽんの事が好きだったの。すごく好き。
 でね、彼との事は、繋ぎの感覚というか、遊びのつもりだったの。
 ビジュアルの面で言えば、ちっとも良くないし(笑
 でも、性格がね、ぽんと似てる部分があったんだ。
 だから、会ったりしてるうちにちょっとずつハマっちゃったの。
 でもさ、それって二人に対してすごく悪い事じゃない?
 だからアタシも悩んだ。
 二人とも取るか、二人とも切るか、どっちかを取るか」


「うん」
僕は彼女の言葉を大人しく聞いていた。


「それでね、私は彼の方を選んじゃったんだ・・・」
「うん。多分、仕方ないと思うんだ。だって、所詮は既婚子持ちさ(笑」
僕はそう言って笑った。


「そう言わないで。それ言われちゃうと、私もつらい。
 だって、知ってて付き合ったのに、知ってて好きになったのに。
 知ってて、納得もしてたのに、結局はそれが理由になっちゃったんだもん」
そう言って彼女は僕に抱きついた。


そう、つまり、結局は僕が既婚者という事が原因だったのだ。


「ごめんね、辛い思いをさせて。
 ごめんね、イヤな選択をさせて」
僕はそう言って彼女を抱きしめ返した。


「んーん、ぽんは何も悪くないんだよ。
 全部アタシのワガママなんだもん」


「そんな事ないって。悪いのは僕なんだ(笑
 極端な事を言えば、もっと早い段階で離婚を決めていたりすれば良かったんだよ」


「そうなのかな。。。」
「たぶん、そうなんだよ」




「でね、僕の今の考え、というか思っている事なんだけど・・・」
「うん。なんだろ、何かドキドキする(笑」
僕はまた少し体を離して話を始めた。


「色々と考えた。日記にさ、結婚を前提に付き合ってるって書いてあった事とか、
 今は僕に気持が無くなってるだろうこととか、そういうのを全部知った上で言うね。
 昨日とか今日とか、フツーのメールに戻ったでしょ?
 それでさ、「久しぶりに長いメールだ」って読んだ時に、何か涙が出てきたの(笑」


「えー、なんでなんで?(笑」
「わかんない(笑
 でもね、その時、改めて思った。
 僕は何がどうあってもF香の事が好きなんだ、って」


「え? だって、あんなにたくさん酷い事したんだよ?
 結婚を前提にとか、ぽんに見せつけるために書いたんだよ?
 それでも好きなの?」
彼女は不思議そうな、少し困惑した顔でそう言った。


「うん。それでも好き。
 F香が何をしても、どんな事をしても好き。
 あ、でもね、だから取り戻したいとかじゃないの。
 ただ、僕がF香を好きでいれれば、それで良いって思ったの」


「Mだ、ぽんはドMだ(笑」
「あはは、そうかもしれん(笑」


「とにかくね、僕の出した結論。
 もうね、何がどうでもいいの。とにかく好き」
そう言って僕は笑った。


「なによ、それ(笑」
そう言って彼女も笑った。
でも、その笑った顔は長続きしなかった。




「ばかぁ。。。ぽんのばか」
そう言って彼女は僕に抱きついた。






「・・・・き」
「え? なんて言ったの?」
彼女の声は小さくて僕には聞こえなかった。




「ぽん、、、、すき」
彼女は小さい声でそう呟いた。


「やっぱり、好きだよ。顔を見ちゃうとダメだぁ・・・」
「僕だって好きだよ」
そう言って僕は強く彼女を抱きしめた。

*1:セックスを、という意味