5・コトバ



□2006年5月□


W子と仲良くなりだしてから、
つまりCROSS LINEを書き出した頃、彼女は仕事がまだ楽だった。




だから平日にも早い時間から会う事も出来たし、
巧くいけばお互いが休みを取って出掛ける事も出来た。


土日は僕はヨメさんと買い物する事が多かったし
W子はまだ彼氏と付き合っていたからデートを続けていた。






しかし、2006年の4月を過ぎると生活が一遍した。


W子は配属が変わり毎朝5時半には起きて仕事に行き、
終わるのは平均しても21時頃だった。


僕の方はといえば、2006年の初頭に社内でゴタゴタが起き、
会社を解散させるか存続させるかという事態になっていた。


最悪の場合、僕は担当している仕事を持って独立するという可能性もあった。
 →幸い2007年になっても潰れる事も無く、会社は続いている。




そのゴタゴタが発覚した時、
僕は誰よりも先にW子にその話をした。


そして、ヨメさんには何も言わなかった。*1




だから、僕もそれなりに仕事は忙しかったけど
W子ほどではなく、もちろん遅くなる時もあったけど
20時には仕事を終え、あとは会社でぼーっとしている事が多かった。




それは「W子が遅くまで頑張って仕事しているし、僕も会社に残っていよう」
という自己満足的な感情だったけど、


それでも僕はそうしたかったし、
平日にW子と会うと帰りは23時近くなっていたので、
それを目立たさせない為のアリバイにもなった。
 →平均して帰宅が遅ければ、極端に遅いのも目立たない






W子と彼との関係が本格的に冷え出してからの休日はW子と会える事が多かった。


僕はお腹の大きくなりだしたヨメさんに
「あまり出歩かない方が良いよ」みたいな事を言っては
一人で地元駅へ買い物へ出掛け、W子とのデートを数時間楽しんだ。





その頃、W子は仕事が本当に辛く、何度も泣いて
そして「辞めたい」とも言っていた。
僕もその話を聞いて「辞めて他の仕事に移るか、部署換えした方が良い」
と思ったし、そう伝えた。




もちろんそれはW子の体調の事もあったし、
職場環境が変われば「以前の様にもう少し長い時間会う事が出来るかもしれない」
と思ったからだった。


とにかく、その部署は「朝早い・夜遅い・休み取れない」という状態で
僕が休日になかなか時間が取れない事を考えると
ゆっくりとしたデートが出来るような状態ではなかった。




それでも、僕は何だかんだと理由をつけては
土日に出掛けたり、GWにW子の家に遊びに行ったりもした。






でも、やはり平日になるとW子は辛そうで
あまりのプレッシャーのせいか、僕に対する接し方もおざなりになってしまう事があった。




僕はその時気付いたんだけど、
W子は一つ気がかりな事があると、どうしても他に気が回らなくなるのだ。




僕は自分の感情を仕事に持ち込まないし、
逆に仕事によって自分の感情が妨害されるのは趣味ではない。


だからどんなに忙しくても、W子への接し方に変化をつけるつもりはなかった。




でも、これは個人個人の資質の問題であって、
どっちが正しくてどっちが悪い という事ではなかった。




だから僕は
W子が仕事で忙しくて、僕へ傾ける感情や時間が少なくなっても
なるべくなら暖かい目で見守ろう


そう決心をした。






そして、少しずつで良いから
仕事と私生活が巧く分割出来るようになると良いな
と思った。





それでもやはり気持ちが伝わってこない時があると、
僕はW子にその事を伝えた。


それは怒っているわけではなく
「不安になっちゃうから、伝えてほしい」という気持ちからだった。


僕はW子に「必要として欲しかった」し
僕はW子を「必要としている」事を
お互いきちんと伝えあっていれば、多少の「おざなり」は問題にはならないはずだった。




実際、僕はW子の仕事環境に対して何もしてあげる事が出来なくて
無力感に陥っていた事があった。


それを伝えるとW子は
「ぽんがいるから私は素に戻れる場所があって、泣ける場所があって、笑える場所があるんだよ。
 私がちゃんと「ありがとう」って伝えられていなかったんだよね。
 少しずつ、先の事も考えていくね。仕事を続けるかどうするか、とかも」


と言ってくれた。


そうやって僕たちはコトバを交わし、一つ一つ理解を深めて行くようにした。




僕にとって、コトバはとても大事なモノだった。




気持ちを伝えあうためにも、気持ちを確認するためにも。
そしてお互いを理解しあうためにも。





[独り言] 返事待ち

*1:「妊娠していたから余計な心配はかけさせたくない」という建前で。他にも理由(本音)があるが、それは後述