6・二人の不安



□2006年6月・2□


W子が仕事を辞めなかった理由は
逃げたくない
負けたくない


という、良い意味での前向きな仕事に対する姿勢と






僕に子供が産まれてくるという事実から目を背けたいという
「忙しければ考えなくて済む」という私生活の部分からだった。





出産予定日が3週間、2週間と近づくにつれ、W子は明らかに情緒不安定になっていった。
そして僕も不安を募らせていった。




僕の不安は2つあって、
ひとつは「子供が産まれてくる事によって、W子が離れていってしまうんじゃないか」という不安。
もうひとつは、自分自身の感情に対する不安だった。




僕はヨメさんの事とか子供の事とかは全く関係なく
その時、既にW子の事を愛していた。




つまり、
ヨメさんとの関係が希薄だから とか
子供が産まれてくる事からの逃避 とか




そういう理由からW子の存在をアテにしたのではなく
純粋に1対1の関係として愛していた。




でも、もし、子供が産まれてくる事によって、
僕の中で気持ちが「家」に向いてしまったらどうしよう


もちろん、僕は自身はその可能性がゼロだと信じていたけど、
人の心に絶対は無いから、ほんの少しだけ不安を感じていた。




そして、それと同じ理由で、
W子は僕よりも遙かに大きな不安を抱えていた。




だから、僕としてはW子が
「僕から離れたくない・私から離れさせない」という
強い意志を持っていてくれる事を望んだ。




つまり、
「子供が産まれてきたって、アタシは絶対にぽんを離さないんだからっ」
といった意気込みというか、スタンスのようなモノを感じ取りたかった。




でも、なかなかそういったスタンスを感じ取る事が出来ず、
「ひょっとしたら、W子は安心しきっているんじゃないか?」
という不安がよぎった。





「ねぇ、ひょっとして、安心しきってなぁい?」
ある日、僕は思いきってそう聞いてみた。


「どうなんだろう。そう見えるなら、そうだったのかもしれない。ごめんね・・・
 でもね、すごく不安なのもホントなの。ぽんの事は信じてるよ。
 でも、自分じゃどうしようもできないから怖いの。
 7月の事を考えると辛くなっちゃって、仕事が忙しい事を理由に、考えないようにしてたのかも。
 だから、最近、ちゃんと気持ちを話せなくて、ぽんを不安にさせちゃったんだよね」


W子は、ゆっくりとコトバを選びながらそう答えた。




「うん。少し不安だったし寂しかった。W子が僕との事を軽く考えていたらどうしよう とか。
 僕はさ、W子の事をちゃんと愛しているけど、でも、気持ちを返してくれないと、不安になっちゃうんだ」


「うん。ごめんね。ぽんの事、ホントに大切だし、軽くなんて考えてないし、ちゃんと愛してるよ」


「うん、ありがとう」
僕はそう言って、泣きじゃくるW子を抱きしめた。








「あのさ・・・」
僕はW子を抱きしめたまま話を続けた。




「なぁに?」
W子は僕の胸に埋めた顔を上げた。




「産まれてすぐ、ってのはさすがに難しいけど、ちゃんと行動で示すから。
 ちゃんと戻ってくるし、W子を迎えに行くよ」




「うん。落ち着いたら、ちゃんとお願いするね。
 でも、赤ちゃんにも、元気に産まれてきてほしいの。これもホントの気持ち」


そう言って、W子は僕の背中に回した手に、力を込めた。








この時、
それまではお互いが漠然と「いずれ一緒になりたい」と思っていた気持ちを
初めてきちんと具体的にコトバに現した。






僕の言った「行動」はヨメさんとの離婚に具体性を持たせる事で、
「迎えに行く」とは読んで字の如くだ。




W子の言った「お願いするね」というのは、
もちろん「迎えにきてね」という意味だった。








そしてその僅か3日後、
予定より10日以上も早く、子供が産まれてきた。