6・二人の不安
□2006年6月・2□
W子が仕事を辞めなかった理由は
逃げたくない
負けたくない
という、良い意味での前向きな仕事に対する姿勢と
僕に子供が産まれてくるという事実から目を背けたいという
「忙しければ考えなくて済む」という私生活の部分からだった。
☆
出産予定日が3週間、2週間と近づくにつれ、W子は明らかに情緒不安定になっていった。
そして僕も不安を募らせていった。
僕の不安は2つあって、
ひとつは「子供が産まれてくる事によって、W子が離れていってしまうんじゃないか」という不安。
もうひとつは、自分自身の感情に対する不安だった。
僕はヨメさんの事とか子供の事とかは全く関係なく
その時、既にW子の事を愛していた。
つまり、
ヨメさんとの関係が希薄だから とか
子供が産まれてくる事からの逃避 とか
そういう理由からW子の存在をアテにしたのではなく
純粋に1対1の関係として愛していた。
でも、もし、子供が産まれてくる事によって、
僕の中で気持ちが「家」に向いてしまったらどうしよう
もちろん、僕は自身はその可能性がゼロだと信じていたけど、
人の心に絶対は無いから、ほんの少しだけ不安を感じていた。
そして、それと同じ理由で、
W子は僕よりも遙かに大きな不安を抱えていた。
だから、僕としてはW子が
「僕から離れたくない・私から離れさせない」という
強い意志を持っていてくれる事を望んだ。
つまり、
「子供が産まれてきたって、アタシは絶対にぽんを離さないんだからっ」
といった意気込みというか、スタンスのようなモノを感じ取りたかった。
でも、なかなかそういったスタンスを感じ取る事が出来ず、
「ひょっとしたら、W子は安心しきっているんじゃないか?」
という不安がよぎった。
☆
「ねぇ、ひょっとして、安心しきってなぁい?」
ある日、僕は思いきってそう聞いてみた。
「どうなんだろう。そう見えるなら、そうだったのかもしれない。ごめんね・・・
でもね、すごく不安なのもホントなの。ぽんの事は信じてるよ。
でも、自分じゃどうしようもできないから怖いの。
7月の事を考えると辛くなっちゃって、仕事が忙しい事を理由に、考えないようにしてたのかも。
だから、最近、ちゃんと気持ちを話せなくて、ぽんを不安にさせちゃったんだよね」
W子は、ゆっくりとコトバを選びながらそう答えた。
「うん。少し不安だったし寂しかった。W子が僕との事を軽く考えていたらどうしよう とか。
僕はさ、W子の事をちゃんと愛しているけど、でも、気持ちを返してくれないと、不安になっちゃうんだ」
「うん。ごめんね。ぽんの事、ホントに大切だし、軽くなんて考えてないし、ちゃんと愛してるよ」
「うん、ありがとう」
僕はそう言って、泣きじゃくるW子を抱きしめた。
「あのさ・・・」
僕はW子を抱きしめたまま話を続けた。
「なぁに?」
W子は僕の胸に埋めた顔を上げた。
「産まれてすぐ、ってのはさすがに難しいけど、ちゃんと行動で示すから。
ちゃんと戻ってくるし、W子を迎えに行くよ」
「うん。落ち着いたら、ちゃんとお願いするね。
でも、赤ちゃんにも、元気に産まれてきてほしいの。これもホントの気持ち」
そう言って、W子は僕の背中に回した手に、力を込めた。
この時、
それまではお互いが漠然と「いずれ一緒になりたい」と思っていた気持ちを
初めてきちんと具体的にコトバに現した。
僕の言った「行動」はヨメさんとの離婚に具体性を持たせる事で、
「迎えに行く」とは読んで字の如くだ。
W子の言った「お願いするね」というのは、
もちろん「迎えにきてね」という意味だった。
そしてその僅か3日後、
予定より10日以上も早く、子供が産まれてきた。