7・おかえり



□2006年6月・3□


「[CROSS LINE 3] 1:きっかけ」の午後■


子供が産まれて、僕が最初にやらなくてはならない事は、
娘の名前を考える事だった。




産まれてくるまで性別が分からなかった事や
どうしても、産まれてくる事に対して手放しで喜ぶ事が出来なかった事などがあって
僕はまったく名前を考えていなかったのだ。




前々からヨメさんに「名前、考えなきゃね」と言われたけれど
僕は「あぁ、そっか。そうだねぇ」と気のない返事しか出来なかった。





僕には、子供につけてあげたい名前というのが二つあった。




それをW子に話した時、彼女はとても気に入ってくれて、
「じゃぁ、僕とW子の間に産まれた子に、その名前をつけよう」と
冗談半分、半ば本気で話していた。




だから、その名前だけは付けたくなかった。





僕は一度会社に戻って仕事をしなくてはならず、
後の事は駆けつけてくれた僕の母親と、ヨメさんの母親に任せる事にした。




お昼を食べて会社に戻る電車の中で、W子にメールを送った。
「小ぶりだったけど、とりあえず無事に産まれてきたよ。名前、考えなくっちゃ(汗」


「すてきな名前、考えなくっちゃね」
と返信が来たので、


僕は「W子のWの字、使って良い?(笑」と送ったら
「さすがにそれは・・・(苦笑」と返信が来た。




僕としてはW子のWの字面が気に入っていたので、
使ってみたいな、という気持ちがあったのは確かだった。




でも、さすがにマズイかな?*1
と思い、違う名前を考える事にした。





結局、名前が決まったのは産まれて3日後くらいだったけど、
この時、僕は重大なミスを犯した。


僕はW子に無神経に「どんな名前が良いかなぁ」と聞いていたんだけど
「P子なんてどう?」と言われたのだ。




その名前は、とても綺麗な響きで、僕は気に入った。
だから、僕は漢字を選び、名前を決定した。


その名前は、
偶然にもヨメさんがお腹の子供に対して呼びかけていた名前に似ていた。
→決めた名前を伝えた時に初めて知った






「でも、やっぱりP子は取っといて欲しいな・・・」
そうW子から言われたのは、決めた名前をヨメさんに伝えた後だった。




このミスは、僕の中で消え去る事の出来ない事だった。




僕に気に入った名前が2つあったように、
W子にも気に入った名前があったのだ。


僕は深く考えず、迂闊にもその名前を使ってしまったのだ。
それも、ヨメさんとの子供に。




その時、きちんとW子に謝る事が出来なかったけど、
僕は懺悔と後悔の気持ちで一杯だった。





会社に戻って仕事をしていると、W子から電話が掛かってきた。


僕は混乱していたし、疲れて憔悴しきっていたから電話は有り難かったし、
僅かな時間でも声を聞けて良かった。






仕事を終えて、家に帰った後、
僕はヨメさんの残した入院の荷物を病院へ持っていった。
→荷物をナースセンターに預けそのまま帰ってきた




コンビニで夕飯を買って帰ってくると既に22時を廻っていた。
僕はネコにゴハンをあげ、自分でもゴハンを食べた。




「あぁ、何年ぶりなんだろう、一人でいるのって」
僕はふとそう思った。




それは感傷的な気分ではなく
どちらかというと開放感のある感覚だった。





W子に電話したのは、シャワーを浴びて、寝る準備が出来てからだった。





「病院、大丈夫だった?」
僕が夜に病院に行く事はメールで伝えてあったので、W子はそれを気にしていた。


「うん。問題なし」
「そっか」




そして、僅かな時間の沈黙。
僕もW子も、何をどう話し出せば良いか分からなかった。






「ねぇ、W子・・・」
「なぁに?ぽん」




「ただいま」
僕はいつもW子に言っていた「ただいま」というコトバを口にだした。




病院から、ただいま
ヨメさんから、ただいま
子供から、ただいま


いろいろなコト・場所から、W子の元に帰ってきたよ。
そんな気持ちを込めて。






「おかえり・・・・」
そう呟いたW子は、すでに泣き声で、
その後はもう号泣するだけだった。




予定より10日も早かった事は、僕にとって予想外だったし、
W子にとってみれば、もっともっともっともっと、予想外だった。
きっと、あと一週間くらいかけて心の準備をする筈だったのだろう。




でも、
その心構えが出来る前に、唐突に「現実」が突き出されてしまったのだ。


例え口では「元気で産まれてきてほしい」と言っていても
それは偽りでは無い気持ちだろうけど
それでもやはり耐え難かっただろうし、苦しくて苦しくて仕方なかった事だろう。


その事を考えると、僕も苦しくなったし泣きたくなったし、
ゴメンという気持ちでいっぱいだった。






その夜、
僕とW子は、とても長く話し正直な気持ちを伝えあった。




僕はW子の気持ちを全部聞いて受け止めて、
僕は自分の気持ちを全部伝え、W子はそれを受け止めた。




「ホントは笑顔でぽんを迎えてあげなくちゃいけないのに」とW子
「うん、ありがとう。でも、泣いても良いんだから・・・」と僕




「僕、思っている事とか気持ちとか、全部、W子に話すよ」と僕
「うん。アタシもそうする。お互いにとって、いまそれが一番大切な事だよね」とW子




「お願いがある」と僕
「なあに?」とW子




「僕さ、W子を離さないからさ、だから離れないでね」と僕
「アタシもお願い。離さないでね」とW子




「アタシ、まだこんなだけど、疲れたら、一言「疲れた」って言ってね」とW子*2
「うん。その時はW子の肩を借りるね」と僕




「改めて」と僕
「改めて?」とW子
「改めて、これからもよろしくね」と僕
「アタシこそ、今日からまたよろしくね」とW子。






そんな会話を
お互いが眠くなるまで、ずっとずっと話し続けていた。

*1:将来的に考えた場合

*2:「ヨメさんや子供や家に疲れたら」の意