18・スタート
□2007年1月・1□
前の年もそうだったけど、お正月というのはタイクツだった。
外に出る事も出来ず、もちろんW子と逢う事も出来ない。
出来る事といえば、
メールをするか、時間を見つけて細々と電話をする事だけだった。
☆
僕は大晦日の23時にW子にメールを送った。
「今年一年、本当にありがとう。来年もよろしくね」
実際に、その1年は僕にとって素晴らしい1年だった。
確かに色々な事があったけど、それでもW子と一緒に過ごせた事が嬉しかった。
そんな感謝と、翌年への期待を込めた長いメールだった。
「私も、一年ありがとう。
個人的に、やっぱり浮き沈みが激しくて爆発しそうな時が多かったけど・・・
ぽんに怒られちゃうこともしちゃったけど、ちゃんとしていくから。
思い返して、楽しい事がいっぱいな一年だったよ。
たくさん、たくさん、ありがとう」
W子からの返信はそう書いてあった。
僕はそのメールを読んで、
「来年は色々あるだろうけど、ちゃんとケリをつけてW子を迎えに行こう」
改めてそう決心した。
もちろん、0時を廻った瞬間にもメールを送った。
ただ、タイマーメールだったので、
僕は9分遅れ、W子からのメールは14分遅れで到着していた。
僕もW子も、
「今年は大変だろうけど、楽しい1年にしよう。頑張っていこう」
「楽しい1年になるのはW子次第?」と僕(仕事の事とか)
「ぽん次第ということでひとつ。。。」とW子(離婚とかいろいろ)
そんな内容のメールを送りあっていた。
お互い、頑張らなくっちゃな。
そんな年明けだった。
☆
本当は初詣にW子と行きたかったんだけど、
僕は誘う事が出来なかった。
「W子と初詣に行きたいなぁ」という言葉も出さなかった。
その言葉を伝える事によって、
余計「行けないんだ・・・」とW子に思わせたくなかったからだ。
誘う事が出来なかったのは
僕はもう何年も初詣に行っておらず、
いきなり今年に行く となるとヨメさんが不自然に思うからだった。
ヨメさんと子供を連れて先に初詣に行っていれば
その後に誰と初詣に行こうが問題は無かったんだろうけど、
僕は3人で「今年の抱負」を祈願するつもりは無かった。
僕にとって、今年は離別の年と決めていたから「1年間」は無いのだ。
でも、ココロの中では家から出たくて仕方がなかったし、
W子と一緒に1年の祈願をしたかった。
でも、出ることが出来ない。
でも、出掛けたい。
そんな葛藤を繰り返していた。
不自然だろうがなんだろうが、出掛けてしまえば良かったのだけど
後々のリスクを考えると、やはり出来なかった。
僕がそこまでリスクを考えたのは、
W子の存在を隠した状態での離婚を考えていたから という事もあるけど、
バレた際、僕が慰謝料を払うのは問題無いとして、
W子にまで余波を与えたくなかったからだ。
慰謝料やら何やらは、僕が解決しなければならない問題で、
そこにW子を巻き込みたくなかったのだ。
W子は以前「ちゃんと巻き込んでね」とは言ってくれたけど、
慰謝料の部分だけは巻き込ませたくなかったのだ。
☆
1月2日に、僕はヨメさんの実家へ「お勤め」に行った。
行ったは良いけど、
何の楽しみも何の感情も持てなかった。
ヨメさんと子供を車に乗せ
実家について
挨拶をし
「眠くなった」と言って昼寝をし
夕食を食べ
家に帰った。
その間、僕の感情は完全に欠落していた。
感情が戻るのは「血族団欒」の合間を縫って
W子にメールを送る時だけだった。
僕はヨメさんの実家に居る間、ずっとW子の事を考えていた。
今頃お散歩でもしているかな?
ちゃんと暖かい格好をしていったかな?
夕飯は何を食べたのかな?
早く逢いたいな
そんな事をずっと考えていた。
☆
家に戻り、一息ついたところでヨメさんに仕事の事を伝えた。
かねてより考えていた「布石」を実行したのだ。
昨年の2月から人が減った事
会社がどうなるか判らない事
独立する可能性がある事
そういった事を伝え、ヨメさんの反応を見た。
「あたしたちはどうなるの?」
という反応が出るのが僕としては理想だったけど、そうはならなかった。
「あたしはどうすれば良い?」
という反応も無かった。
ヨメさんは、ただ話を聞いているだけで
無反応だった。
危機感も意欲も、何も感じ取る事が出来なかった。
ヨメさんは一体なにを考えているんだろう
僕はよくわからなかった。
でも、どういう反応であろうと
やっと離婚に向けての第一歩を現実的に踏み出す事が出来た。
さて。
この1年、どうなっていくかな。
僕はそう思いながらW子にメールをした。
「ただいま、W子。ちゃぁ〜んと、帰ってきたよ。
会社の話、したよ。ヨメさんの反応は鈍かったけど。
でも、ちゃんと布石は打ったよ」
そうして、僕とW子の2007年はスタートを切った。