18・スタート



□2007年1月・1□


前の年もそうだったけど、お正月というのはタイクツだった。
外に出る事も出来ず、もちろんW子と逢う事も出来ない。


出来る事といえば、
メールをするか、時間を見つけて細々と電話をする事だけだった。





僕は大晦日の23時にW子にメールを送った。
「今年一年、本当にありがとう。来年もよろしくね」


実際に、その1年は僕にとって素晴らしい1年だった。
確かに色々な事があったけど、それでもW子と一緒に過ごせた事が嬉しかった。


そんな感謝と、翌年への期待を込めた長いメールだった。






「私も、一年ありがとう。
 個人的に、やっぱり浮き沈みが激しくて爆発しそうな時が多かったけど・・・
 ぽんに怒られちゃうこともしちゃったけど、ちゃんとしていくから。
 思い返して、楽しい事がいっぱいな一年だったよ。
 たくさん、たくさん、ありがとう」


W子からの返信はそう書いてあった。




僕はそのメールを読んで、
「来年は色々あるだろうけど、ちゃんとケリをつけてW子を迎えに行こう」
改めてそう決心した。






もちろん、0時を廻った瞬間にもメールを送った。


ただ、タイマーメールだったので、
僕は9分遅れ、W子からのメールは14分遅れで到着していた。


僕もW子も、
「今年は大変だろうけど、楽しい1年にしよう。頑張っていこう」


「楽しい1年になるのはW子次第?」と僕(仕事の事とか)
「ぽん次第ということでひとつ。。。」とW子(離婚とかいろいろ)


そんな内容のメールを送りあっていた。




お互い、頑張らなくっちゃな。
そんな年明けだった。





本当は初詣にW子と行きたかったんだけど、
僕は誘う事が出来なかった。


「W子と初詣に行きたいなぁ」という言葉も出さなかった。


その言葉を伝える事によって、
余計「行けないんだ・・・」とW子に思わせたくなかったからだ。




誘う事が出来なかったのは
僕はもう何年も初詣に行っておらず、
いきなり今年に行く となるとヨメさんが不自然に思うからだった。


ヨメさんと子供を連れて先に初詣に行っていれば
その後に誰と初詣に行こうが問題は無かったんだろうけど、
僕は3人で「今年の抱負」を祈願するつもりは無かった。


僕にとって、今年は離別の年と決めていたから「1年間」は無いのだ。




でも、ココロの中では家から出たくて仕方がなかったし、
W子と一緒に1年の祈願をしたかった。


でも、出ることが出来ない。
でも、出掛けたい。


そんな葛藤を繰り返していた。




不自然だろうがなんだろうが、出掛けてしまえば良かったのだけど
後々のリスクを考えると、やはり出来なかった。




僕がそこまでリスクを考えたのは、
W子の存在を隠した状態での離婚を考えていたから という事もあるけど、


バレた際、僕が慰謝料を払うのは問題無いとして、
W子にまで余波を与えたくなかったからだ。




慰謝料やら何やらは、僕が解決しなければならない問題で、
そこにW子を巻き込みたくなかったのだ。


W子は以前「ちゃんと巻き込んでね」とは言ってくれたけど、
慰謝料の部分だけは巻き込ませたくなかったのだ。





1月2日に、僕はヨメさんの実家へ「お勤め」に行った。


行ったは良いけど、
何の楽しみも何の感情も持てなかった。


ヨメさんと子供を車に乗せ
実家について
挨拶をし
「眠くなった」と言って昼寝をし
夕食を食べ
家に帰った。




その間、僕の感情は完全に欠落していた。
感情が戻るのは「血族団欒」の合間を縫って
W子にメールを送る時だけだった。




僕はヨメさんの実家に居る間、ずっとW子の事を考えていた。


今頃お散歩でもしているかな?
ちゃんと暖かい格好をしていったかな?
夕飯は何を食べたのかな?
早く逢いたいな


そんな事をずっと考えていた。





家に戻り、一息ついたところでヨメさんに仕事の事を伝えた。


かねてより考えていた「布石」を実行したのだ。




昨年の2月から人が減った事
会社がどうなるか判らない事
独立する可能性がある事


そういった事を伝え、ヨメさんの反応を見た。




「あたしたちはどうなるの?
という反応が出るのが僕としては理想だったけど、そうはならなかった。




「あたしはどうすれば良い?
という反応も無かった。




ヨメさんは、ただ話を聞いているだけで
無反応だった。




危機感も意欲も、何も感じ取る事が出来なかった。






ヨメさんは一体なにを考えているんだろう
僕はよくわからなかった。




でも、どういう反応であろうと


やっと離婚に向けての第一歩現実的に踏み出す事が出来た。








さて。
この1年、どうなっていくかな。


僕はそう思いながらW子にメールをした。




「ただいま、W子。ちゃぁ〜んと、帰ってきたよ。
 会社の話、したよ。ヨメさんの反応は鈍かったけど。
 でも、ちゃんと布石は打ったよ」




そうして、僕とW子の2007年はスタートを切った。