19・心配性
僕は心配性だ。
その相手が、大事であれば大事であるほど、心配になってしまう。
心配の内容は、それぞれだ。
元気かな?
大丈夫かな?
トラブルに遭ってないないかな?
無事に家に帰ったかな?
そんな様々な心配だ。
僕はW子に対して、常に心配をしていた。
仕事が辛くなってないかな?
体調を壊してないかな?
事故とかに遭ってないかな?
そんないろいろな心配だ。
☆
僕は、W子が帰りが遅くなったりする時に
「帰ってきたら、ちゃんとメールしてね」
といつも言っていた。
それは単純に「身の心配」だった。
無事に、事故などに遭わずに帰ってきただろうか。
バカげてるかもしれないけど、そんな心配だ。
「大げさなんだよ」
と思う人もいるかもしれないけど、
世の中、何が起こるかわからないのが現実だ。
世界は交通事故やら火事やら通り魔やら天災で溢れかえっている。
それらのトラブルに、決して巻き込まれないなんて
誰に約束が出来るであろう。
☆
僕の絡んでいる「集まり」というのは
実は死と隣り合わせの事をしていて、
僕は集まり関連で出掛けるたびに、
生きて帰ってきた事を嬉しく思っている。*1
僕の周りでは居ないけど
実際に命を落とす人もたくさん居る。
幸い、僕は若い頃に軽いケガだけで済ませたけれど、
ちょっと気を抜けば、あっという間に黄泉路な事なのだ。
僕はその「コト」を17年以上も続けている。
つまり、17年以上「死」の隣で「死」を実感し続けているのだ。
☆
だからこそ、
何か突発的な事に巻き込まれていないか とか
そういった事にもの凄くナーバスになるのだ。
そのナーバスさは、
相手が大事であれば大事であるほど強くなり、
失いたくないという気持ちの発露だった。
僕は、W子の事がとても大事だし、
だからこそ、遅くなる時には
「心配になっちゃうから、「ただいま」の一言だけでも良いからメールしてね。
もしくは、遅くなるなら「遅くなる」の一言だけでも良いし」
といつも言っていた。
「それ、考えすぎだから」
そう思う人もいるかもしれない。
僕だって考えすぎなのは解ってるし、
W子がそんなに不注意じゃない事も解っている。
でも、世の中には
「ある日、突然大事な人を失った」人がたくさんいる。
まさか自分はそんな目に遭いはしないだろう
僕はそう思ってはいなかった。
それは
常に「死」と隣り合わせな事を実感していたからだった。
僕は心配性だ。
その相手がW子であれば、なおさら心配だ。
僕は、W子からの「ただいま〜」というメールを読むたびに
ホっとひと安心し、
W子が元気に生きている事に感謝をしていた。
*1:詳細は後日書きます