20・ゼロ



□2007年1月・7□


「もう、終わりにしよう」


僕とW子の間に響いたその一言は、
いつもの喫茶店の静寂を、ほんの少しだけ切り裂いた。





僕の誕生日から何日か過ぎたその日、いつもの喫茶店でW子と会っていた。


待ち合わせ時間に少し遅れてやってきたW子は、
カフェオレを頼み、僕の横に座った。




僕もW子も、暫く黙っていたけれど、
何となくイヤな空気が流れていたのはお互いに解っていた。




なんでこんな雰囲気になってるんだろう。


僕はそう思いながら、W子の横顔を眺めた。




スーツを着たW子は、何かを考え込んでいるようで、
いつもより呼吸が深く、大きかった。


目に見える程の呼吸をするのは、
何か真剣に考えている証拠だった。


僕もそういった経験があるし、
つられて僕も呼吸が深くなっていった。






あのね・・・




先に口を開いたのはW子の方だった。





「あのね、こないだ奥さんとP子を見せてくれた時の事なんだけど」
「うん」
「あれから色々考えたの」
「うん」
「最初はね、3人で居る所を見ても勝てるかな、って思ったんだけど、ダメだった。
 だって、すごく自然なんだもん、3人で居る姿が」
「そりゃぁ、自然に振る舞ってたもん、僕」
「そうなんだろうけど、ダメ、アタシには絶対勝てない って思っちゃったの」
「僕は勝って欲しいんだけど・・・」
「んーん、ムリ。あの中に、アタシは入り込めないよ・・・」








「・・・・それで?」
僕はW子の方を向きながら聞き返した。
W子は僕に横顔を見せたまま、正面を向いて話を続けた。


「勝てない、って思ったら、すごく気持ちが楽になっちゃって・・・・」
「うん」
「そうしたらね、ぽんに対する気持ちが、消えちゃったの・・・」
「・・・なに、それ・・・」
「きっとさ、良くある事なんだよ、ぽんが奥さんに対して思っている事とかって」
「良くある事?」
「うん。きっとね、アタシの両親も同じ様な経験をして、それでも生活を続けてるんだよ」




気持ちが消えちゃったという言葉もそうだったけど、
その一言にも僕はショックを受けた。




ちょっと待ってくれ。


良くある事


そんな一言で片付けられてしまうのか?
僕が何年間も「結婚ってなんだ?」と考え続けて来た事が
「良くある事」で済んでしまうのか?




そう思った時、僕は全否定をされた気分になった。




「良くある事かもしれないけど、僕にとっては良くある事なんかじゃないよ・・・」
僕は力の抜けた声で喋るのがやっとだった。





「3人の姿を見せてくれた事も、P子を抱かせてくれた事も感謝してるし、嬉しかったの。
 イヤな言い方だけど、勝てるって思ってたし、そうしたかったけど、ダメだったの。。。
 ダメだ って思ったら、辛さとかそういうのが全部消えて、すごく楽になったの」




「・・・・それで?」
僕はそう一言呟いたけど、その先の言葉なんて聞きたくなかった。


でも、W子は何かを決心していたし、
あの呼吸の大きさは、決心した証拠だという事も解っていた。




「もう、終わりにしたい」
W子は正面を向いたまま、そう言った。




「ちゃんと目を見て言ってよ・・・」
僕がそう言うと、W子はその日、初めて僕の顔を見た。




真面目で、決心を込めた表情で僕を見つめるW子の顔には
いつもの笑顔も、柔らかいまなざしも見つける事が出来なかった。






「もう、終わりにしよう」


僕とW子の間に響いたその一言は、
いつもの喫茶店の静寂を、ほんの少しだけ切り裂いた。


その一言は、ここ数日、なんとなく予想していた事だったけど、
それでも僕は受け入れる事が出来なかった。


受け入れる事なんて、出来る訳がない。




「いやだ」
僕はW子の目を見たまま、そう即答した。




「ダメ、終わりにしたい」
「なんで? チャンスも無いの?」
「無い」
W子の返事も簡潔だった。





僕は何の言葉も浮かんで来なかった。
頭の中が真っ白だった。




「全然、やり直せる可能性は無いの?」
「・・・うん」
「1%も?」
「うん」


「ホントはこのくらいあるんじゃない?」
僕はくっつけた親指と人差し指を少し拡げてそう言ったけれど、
W子は首を横に振るだけだった。




「でもさ、辛い気持ちなんて、誰とどう付き合ったってつきまとうよ」
僕はそう言ったけれど


W子は「それならアタシは誰も好きにならなくても良い」
と呟いただけだった。





気持ちがゼロになったという状態の相手に対し、
何を言ってもムダなのは、僕自身が良く解っていた。


僕だって気持ちがゼロの相手に対して、そうだったからだ。




そしてW子が「ゼロになった」と言うならば、それは本当にゼロで、
W子もまたゼロになった相手に対しては
「もう好きじゃないってだけ」と思っている事を僕は知っていた。


それはW子が、前の彼に対してもそうだったからだ。






諦めるしかないんだろうか
受け入れるしかないんだろうか
諦められない
受け入れられない
何としてでもやり直したい
でも、W子の決意は変わらない



僕は何も分からなかった。
僕は何も言えなかった。


ただ、チャンスが欲しかった。
ただ、仕切直すチャンスが欲しかった。


そもそも、僕はその日
ちゃんと仕切直して、話し合って、また一歩づつ進んで行きたいと
その話をW子としたくて逢ったのだ。




でも、W子は別の答えを出してしまっていた。





駅までの道を、僕は強引にW子の手を取って歩いた。
ゆっくりと、時間をかけて歩いた。


僕は途中で立ち止まり、W子を抱きしめた。


「どうしても、ダメ、なの?」僕は小さな声で呟いた。
「・・・・だめ」
「やり直せないの?」
「・・・・うん」




僕の腕の中にいるW子は言葉少なく呟くだけだった。


そして、
僕は力強くW子を抱きしめたけど、
W子の腕に、力がこもる事もなかった。




「ここでバイバイ、なのかな・・・・」
その横断歩道は、いつも僕とW子がバイバイしていた場所だった。


一緒に駅まで行こうと思ったけれど、
僕にはそれが出来なかった。


なぜかは判らないけれど、僕はその横断歩道を渡ることが出来なかった。


「じゃぁ・・・」
そう言ったW子は、後ろを振り返る事もなく、横断歩道を渡っていった。


僕は、その後ろ姿が見えなくなるまで、
ただ、見つめる事しか出来なかった。




Sub:最後のメール
本文:の、つもり。
   凄いショックの反面、この一週間漠然と予想していた部分もあるから
   どちらかというと「やっぱりか・・・」という部分もある。


   今までありがとう。
   W子と知り合って1年ちょい、本当に幸せだった。例えようもなく幸せだった。
   過去形で書かなくちゃならないのが哀しいけど、とてもとても愛していた。
   真剣にW子と生きて行きたかった。
   1年間、僕の横にいてくれてありがとう。愛してくれてありがとう。
   とてもとても感謝しています。
   カラダ、無理をしないように、元気でいてね。
   僕は、W子を愛しています





帰りのバスの中、僕は最後のつもりでメールをW子に送った。
返事は来ないだろうけど、送りたかったのだ。






W子を初めて抱いて、
横にいるのがW子でも良いのかな」と思った日から
ちょうどピッタリ1年経った節目の日、


僕は、W子に別れを告げられた。






そして、それは


最高の3○歳を終え、
最悪の3○歳の始まりだった。