29・苦痛・憔悴・感傷



□2007年1月・11□


一体、何をどうしたらW子は戻ってきてくれるんだろう
CLOSS LINE3を書きだしながら、僕はそれだけを考えていた。




メールには「1ヶ月後、また連絡する」と書いたし、
僕はその間に、何をどうすれば良いかを考える事にした。





しかし、その日々は
予想していた事だけど、辛く、苦しい日々だった。




朝起きるとメールが来ない事に失望し、
会社に行けば「これからランチ♪」というメールが届かない事に失望し
残業していれば「まだW子も仕事してるのかな?」と想像し
家に帰ると気分が重くなり
寝る時になると真っ暗な部屋の中で沈み込んでいった。






僕に現れた明確な変化の一つは食欲だった。


朝ご飯のパン一個はともかく、
お昼には脂っこいモノが食べれず、
夕飯は毎回のように残した。


食べ終わると吐き気がして、毎回の食事は苦痛でしかなかった。




そして僕は文字を読むことが出来なくなった。


つまり、本や新聞やサイトなど
そういった「文字での情報」に対して、何の興味を持てなくなっていた。


それは「何を読んでも理解が出来ない状態」だったからだけど
僕は文字からも遠ざかっていった。





一週間ほどした頃休日出勤のため違う県に行った




朝の高速をバイクで走っていると
ふと、「ここで死んじゃったら、誰にも気付かれないのかな?」
などという、悲しい妄想に取り憑かれていた。


この頃、僕は死にたいとは思わなかったけど、
生きていたいとも思っていなかった。




僕にとって、W子の存在というのは「生」そのもので
W子と過ごす事が人生の目的だった。


その目的を失った僕は
ただ、生き長らえているだけの存在だった。





僕が今まで何度も書いてきた「集まり」というのは
バイクの集まりの事だ。*1


僕はもう15年以上バイクに乗っているけれど、
バイクというのは、本当に死と隣り合わせなのだ。


ビッグスクーターに乗っている連中には分からないかもしれないけど、
本当に一歩間違えれば、呆気なく死ぬ乗り物なのだ。




友人の父親もバイク乗りだけど、
彼の口から「また一人死んじゃったよ」というセリフを何度も聞いた。


友達が目の前で転倒した事もある。
崖から落ちたライダーをみんなで引き上げた事もある。




僕自身は幸い高校生の頃に転倒して、
擦り傷を負ったくらいで済んでいるけれど、


それでもいざ乗る時になると
必ず「死を覚悟して」乗るようにしている。




冗談に聞こえるかもしれないけれど、
バイクというのは、本当にそういう乗り物なのだ。




ちょっとした道のうねりや
ちょっとした車の悪意や
ちょっとした落下物で


あっけなく転倒し、亡くなるライダーがいかに多い事か。




どれだけ、人の命が些細な事で失われる事か。






だから、僕は死に対して敏感なのだ。
だから、僕は常にW子の身を案じていたのだ。





その休日出勤の日、
僕は早朝の高速で「死」を感じ、
帰りの高速環状線の渋滞を80kmですり抜けながら「死」を感じていた。




その「感傷具合」は「僕の隣にW子が居ない」
という現実の影響もあっただろうけど、


それでも僕は、このまま死ぬのは悲しすぎるな と思い、
また沈み込んでいった。




そんな感じに
僕は僕なりに辛い思いをしていたけれど、


その辛さに「先」がある事を、その時の僕は知らなかった。





W子から手紙が届いたのは、2月になってからだった。

*1:お、遂にカミングアウト?(笑