29・苦痛・憔悴・感傷
□2007年1月・11□
一体、何をどうしたらW子は戻ってきてくれるんだろう
CLOSS LINE3を書きだしながら、僕はそれだけを考えていた。
メールには「1ヶ月後、また連絡する」と書いたし、
僕はその間に、何をどうすれば良いかを考える事にした。
☆
しかし、その日々は
予想していた事だけど、辛く、苦しい日々だった。
朝起きるとメールが来ない事に失望し、
会社に行けば「これからランチ♪」というメールが届かない事に失望し
残業していれば「まだW子も仕事してるのかな?」と想像し
家に帰ると気分が重くなり
寝る時になると真っ暗な部屋の中で沈み込んでいった。
僕に現れた明確な変化の一つは食欲だった。
朝ご飯のパン一個はともかく、
お昼には脂っこいモノが食べれず、
夕飯は毎回のように残した。
食べ終わると吐き気がして、毎回の食事は苦痛でしかなかった。
そして僕は文字を読むことが出来なくなった。
つまり、本や新聞やサイトなど
そういった「文字での情報」に対して、何の興味を持てなくなっていた。
それは「何を読んでも理解が出来ない状態」だったからだけど
僕は文字からも遠ざかっていった。
☆
一週間ほどした頃休日出勤のため違う県に行った。
朝の高速をバイクで走っていると、
ふと、「ここで死んじゃったら、誰にも気付かれないのかな?」
などという、悲しい妄想に取り憑かれていた。
この頃、僕は死にたいとは思わなかったけど、
生きていたいとも思っていなかった。
僕にとって、W子の存在というのは「生」そのもので
W子と過ごす事が人生の目的だった。
その目的を失った僕は
ただ、生き長らえているだけの存在だった。
☆
僕が今まで何度も書いてきた「集まり」というのは
バイクの集まりの事だ。*1
僕はもう15年以上バイクに乗っているけれど、
バイクというのは、本当に死と隣り合わせなのだ。
ビッグスクーターに乗っている連中には分からないかもしれないけど、
本当に一歩間違えれば、呆気なく死ぬ乗り物なのだ。
友人の父親もバイク乗りだけど、
彼の口から「また一人死んじゃったよ」というセリフを何度も聞いた。
友達が目の前で転倒した事もある。
崖から落ちたライダーをみんなで引き上げた事もある。
僕自身は幸い高校生の頃に転倒して、
擦り傷を負ったくらいで済んでいるけれど、
それでもいざ乗る時になると
必ず「死を覚悟して」乗るようにしている。
冗談に聞こえるかもしれないけれど、
バイクというのは、本当にそういう乗り物なのだ。
ちょっとした道のうねりや
ちょっとした車の悪意や
ちょっとした落下物で
あっけなく転倒し、亡くなるライダーがいかに多い事か。
どれだけ、人の命が些細な事で失われる事か。
だから、僕は死に対して敏感なのだ。
だから、僕は常にW子の身を案じていたのだ。
☆
その休日出勤の日、
僕は早朝の高速で「死」を感じ、
帰りの高速環状線の渋滞を80kmですり抜けながら「死」を感じていた。
その「感傷具合」は「僕の隣にW子が居ない」
という現実の影響もあっただろうけど、
それでも僕は、このまま死ぬのは悲しすぎるな と思い、
また沈み込んでいった。
そんな感じに
僕は僕なりに辛い思いをしていたけれど、
その辛さに「先」がある事を、その時の僕は知らなかった。
☆
W子から手紙が届いたのは、2月になってからだった。
*1:お、遂にカミングアウト?(笑