34・ありがとう



□2007年2月・5□


「あのさ、僕の事、ちゃんと愛してくれてた?」


W子は下を向いたまま、黙って頷いた。




それは肯定の仕草だったけど、僕は言葉で聞きたかった。


最後に一言だけ「愛してたよ」というコトバが聞きたかった。
それを聞くことが出来れば、僕はそこで終止符を打つ事が出来た。




「ちゃんと目を見て言ってよ・・・・」


僕がそう言うと
W子は上を向いて僕の顔を見た。










僕を見上げたW子の目には、うっすらと泪が浮かんでいた。






泪?




僕はその目を見て、一瞬気圧されたようにひるんだ。








そして、W子は半笑いで口を開いた。










もうこれ以上、苦しめないで





ショックだった。




ただ、純粋にショックだった。




確かに僕は
子供の事や行動の事で彼女に辛い思いをさせていた。




しかしW子は
僕という存在全てに対して苦しみを感じていたのかもしれない。


その真偽は分からないが、その一言は僕にそう認識させた。




僕は何も言えなかった。
一体、そこで何を言えるだろう。






僕が黙っているとW子はコトバを続けた。


「なんで一緒に来たか分かる?
 私が頼んで、ついてきてもらったんだよ!
 辛いの。顔を見るのが辛いの!」


そしてW子はまた泪を流した。





あぁ、そうか






やはりW子は僕の全てが辛くなってしまったんだ。






僕という存在
僕に付随する存在
僕と過ごした時間


僕に係わる全ての事が、彼女にとっては苦痛なのだ。




愛していてくれたからこそ、
彼女は苦しみ、悩み、結論を出し、


その結論を出した事にも苦しみ
それでも会いに来てくれて


それなのに僕は何も分かっていなくて。






僕を愛してくれたからこそ
P子の事を愛し、不幸にさせられないと思い、


僕と関係を続けるという事は
P子を僕から引き離すという事で


だからこそ、僕との関係を終わらせる事を選んだのだ。


きっと、自分とP子を重ね合わせもしただろう。




それは、
どれだけ苦しかった事だろう。




その苦しみから逃れたW子を、
どうして責められるだろう。






僕は、
「ごめん・・・ そうだよね。ごめん」


そう言うのが精一杯だった。





「じゃぁ、帰るね」
W子が落ち着くと僕はそう言った。




「うん。私も帰るから」


「じゃぁね・・・」
そう言って、僕は振り向き、歩き出した。




少し歩くと、僕は後ろを振り向きたい衝動にかられた。


でも、出来なかった。




後ろを振り向いたら
W子が彼に抱きついて泣いている姿を見てしまうような気がした。




だから僕は振り向かなかった。
だから僕は振り向けなかった。




僕はただ真っ直ぐ歩いた。
何も考えず、何も想像しないように歩いた。




僕は「今のこの状況」を思考から外した。*1
今、僕は「ただ駅に向かって歩いているだけ」だ





とりあえず、家に帰ろう。


W子と交わした約束もある事だし、とりあえず家に帰ろう。*2
僕は何も考えずに電車に乗り、バスに乗り、家に帰った。




「ただいま」
疲れた声でそう言うと、
ヨメさんが子供を抱っこして居間から顔を出した。


「あ、おかえりなさい」




結局、
僕はこの場所に戻ってきてしまった。




この場所は、僕の居場所では無いだろうけど、
それでも、結局は戻ってきてしまった。




「僕の人生は、結局このままだんだろうか」
そう思いながらP子の顔を見た。




P子はそんな僕の心境など分かる訳もなく、
キャッキャと言いながら笑っていた。





その夜、僕はW子にメールを送った。


「今日じゃないと伝える意味が無さそうなので・・・


この先、どんな状況になったとしても、P子だけは不幸にさせない。
P子と、名前をくれたW子と、僕自身のために、それを約束するね・・・」







ありがとう、W子。
いままで、本当にありがとう。


愛してるよ、W子。
愛してたよ、W子。







そして、僕は久しぶりに眠りについた。




ゆっくりと、
ゆっくりと深い眠りについた。

*1:「思考から外す」内容については後日

*2:P子を不幸にはさせないという約束