3・迂闊



□2007年2月・8□


僕はこの頃、
「何をどうすれば良いのだろう」と考えながら、CROSS LINE3を書いていた。
 →ちょうど子供が産まれた翌日とかその辺りの頃の記事




それは一番辛い時に、一番楽しかった頃の事を書くという
難しい状況だった。


書くたびに過去の事が思い出され、
書くたびに現実を思い知らされていた。




だからといって現実逃避をしていたワケではない。
想い出に浸っていたワケでもない。




しかし、
人は想い出の中だけで生きて行く事は出来ない。




でも、
想い出が無ければ生きていく事が出来ない。




想い出はすなわち過去で、
過去があって、今があり未来がある。


いま、これを書いてる瞬間だって、
これをUPする時には過去になっている。




過去に起こった事は「現実」だし、
未来は「これからやってくる現実」だ。


僕は過去の現実からも逃げないし、
これからやってくる「現実」からも正面から向き合う。




それが僕のスタンスであり、生き方なのだ。






不器用だとは思うし、
しちめんどくさい性格だとも思う。






でも、僕は逃げない






逃げないで、何をどうしていけば良いのかを考える。






自分のために。
W子のために。
娘のために。
ヨメさんのために。




僕は、
そう考えながら、CROSS LINE3を書き続けていた。





僕にとっての「現実」とは「今の状況」ではない。
だから「逃げない」は「今の状況」からではない。




今の状況に甘んじるコトが、すなわち「逃げ」なのだ。
 →つまり、このまま結婚生活を続ける事






だから、僕の言う「逃げない」というのは
「今の状況に甘んじない」というコトだ。






僕は逃げない。
今の状況に、決して甘んじるコトはしない。


逃げなかった結果がどうなるかわからないし、
本当に全てがゼロになるかもしれないけど


それでも逃げない。




逃げたくない。




妥協したくない。





諦めが悪いのはわかってるけど


何が大事 とか
何が必要 とか




そーゆーのをひたすら考え続けていると
ひしひしと実感してしまう。




だから、僕は状況を打開する。
打開したって、僕の望む結果にはならないかもしれないけど
いや、むしろ「ならない可能性」の方が遙かに高いけど




何もしないで、ただ座視して、後から後悔はしたくない。
このまま甘んじていれば、僕はきっと後悔する。






僕は今まで甘すぎた。
自分自身に対して甘すぎた。


そう簡単に「都合良く」物事が進むワケがないのだ。






僕は自分にとって、
何が一番大事なのか
何が一番必要なのか


それをちゃんと見極めたい。




そして一番大事な「何か」の「そのすべて」を守りたい。




僕はそうしなければならない。
そうしないと、きっと後悔する。








そして、その時、僕は


そうか、まず、別居をしよう
と思ったのだ。





迂闊だった。


なんでもっと早くそれに気が付かなかったんだろう。
普段の僕だったら、とっくにそんな事を思いついている。




他の人が同じ状況だったら、
もっと早い段階で「とりあえず別居でもなんでもすりゃ良いじゃん」
と言っていただろう。




そんな簡単な事すら思いつかないくらい、
W子と付き合っていた頃の僕は
いっぱいいっぱいだったのだろう。




僕は別居について考えた。




それはアリかも。




そう思ったけど、結局、すぐにその考えは却下した。