6・消極的な結果



なぜ、今回「ボタン」という単語を「結婚」に当てはめたかというと、
他に良い例えが思い浮かばなかったからだ。





どっちがボタンでどっちがボタンホールでも良いんだけど、
ボタンとボタンホールがセットになって、初めて「ボタン」の存在意義がある。


でも、ボタンもホールも、その時その時によって、サイズや形状が異なって、
ボタンとボタンの距離だって毎回違ったりする。


一つ目のボタンを結婚した時と捉えると、
そこから始まる生活は、ボタンを締める事と同じだ。




「普通」はボタンとホールの距離や大きさが違っても、
その度に上手く調整したり、一つくらい飛ばしちゃったりしながら、
次のボタンに進んでいく。


多少かけ間違いがあったって、なんとかなるモノだったりもする。


問題は、
そのかけ間違いを「許容出来るか否か」なのだと思う。





僕はかけ間違いがある事は解っていた。
分かっていたけど、そのままにしていた




それは、許容していたというよりは


見て見ぬフリをしていた。
もしくは、諦めていたのだと思う。




最初にも書いたけど、
いつか、ひょんな事でかけ間違いが直るかもしれない
と、傍観していた。




それは期待でも希望でも願望でもなく
ただ、他人事のように「どうなるんだろう」と思っていた。




そこには僕の「積極的な意志」というモノは無く
あるのは「消極的な結果」だけだった。




そして、昨年、初めて「積極的な意志」をもって
ボタンを進めない事を考え、


結果として、
何の変わりもない現状に戻ってきてしまった。





僕のボタンは、
1年間同じ位置で止まったままだ。




このボタンを、このままの位置で維持する事は出来るだろうけど、
これ以上、先に進める気力が僕にはもう無い。






いや、ひょっとしたら、
そもそもの最初から、ボタンは進んでいなかったのかもしれない。