6・消極的な結果
なぜ、今回「ボタン」という単語を「結婚」に当てはめたかというと、
他に良い例えが思い浮かばなかったからだ。
☆
どっちがボタンでどっちがボタンホールでも良いんだけど、
ボタンとボタンホールがセットになって、初めて「ボタン」の存在意義がある。
でも、ボタンもホールも、その時その時によって、サイズや形状が異なって、
ボタンとボタンの距離だって毎回違ったりする。
一つ目のボタンを結婚した時と捉えると、
そこから始まる生活は、ボタンを締める事と同じだ。
「普通」はボタンとホールの距離や大きさが違っても、
その度に上手く調整したり、一つくらい飛ばしちゃったりしながら、
次のボタンに進んでいく。
多少かけ間違いがあったって、なんとかなるモノだったりもする。
問題は、
そのかけ間違いを「許容出来るか否か」なのだと思う。
☆
僕はかけ間違いがある事は解っていた。
分かっていたけど、そのままにしていた
それは、許容していたというよりは
見て見ぬフリをしていた。
もしくは、諦めていたのだと思う。
最初にも書いたけど、
いつか、ひょんな事でかけ間違いが直るかもしれない
と、傍観していた。
それは期待でも希望でも願望でもなく
ただ、他人事のように「どうなるんだろう」と思っていた。
そこには僕の「積極的な意志」というモノは無く
あるのは「消極的な結果」だけだった。
そして、昨年、初めて「積極的な意志」をもって
ボタンを進めない事を考え、
結果として、
何の変わりもない現状に戻ってきてしまった。
☆
僕のボタンは、
1年間同じ位置で止まったままだ。
このボタンを、このままの位置で維持する事は出来るだろうけど、
これ以上、先に進める気力が僕にはもう無い。
いや、ひょっとしたら、
そもそもの最初から、ボタンは進んでいなかったのかもしれない。