22・振り出し



□2007年2月・26□


お昼過ぎに目を覚ますと、体は重いままだったが、それなりにスッキリした気分だった。
僕はリビングに行き、遅い朝食を食べコーヒーを飲んだ。


ヨメさんは昨夜の事については何も言わず、その態度が少し不気味だった。
おそらく、何か尋ねたいけれど、怖くて何も聞けないのだろう。


僕はヨメさんのそんな心境を余所に自分の部屋に戻った。





部屋に戻ると、僕は二人の友達にメールをした。
二人とも、僕がとても大事にしている友人で、付き合いも長い。
お互い、相談したり相談されたりと、迷惑をかけあっているような間柄だ。


K子との話の影響がおおいにあるのだろうけど、その内容は「感謝」だった。




こんな偏屈だけど、いつも仲良くしてくれてありがとう
こんな厄介者だけど、いつも気に掛けてくれてありがとう




僕はそんな内容のメールを送った。




すると友達の一人から電話があった。
きっと、メールの文章がしんみりとし過ぎていて心配になったのだろう。
 →気の弱いヤツなら、その内容が遺言になってもおかしくないくらいの文章だった




友達はとても心配しれくれていた。
「まぁ、ぽんさんがそんなんで死ぬような事が無いのは分かってるけど、心配になるじゃん」




僕は友達と話しているうちに、何故かまた涙が流れてきた。


それは
「いつも色々と話を聞いてくれてありがとう」と言った瞬間の事だった。
僕は友達に感謝すると同時に、その存在がありがたくて涙を流した。


まだ、こうやって親身になってくれる人が居るんだな。
そう思って涙を流した。




きっと、僕の心はかなり無防備になっていたのだと思う。
言葉の一つ一つが僕の心の琴線に触れ、そのたびに僕は心の縺れを解いていった。





それからの数日、僕は思考の渦に呑まれ、奥底まで沈み込んでいた。




K子と話した内容や
W子へのキモチや
ヨメさんとの事や


そういった事がグルグルと渦を巻いていた。




K子は「W子とやり直す事なんてムリ」と言い
それでも僕はW子とやり直したくて
でも「そのために離婚する」というのは間違っていて
「じゃぁ一体、何をどうすれば良いんだ?」と悩んだ。


結局、僕の思考は振り出しに戻っただけで、
きちんと「離婚」と「W子の事」を切り離さないと、何も進展しない感じだった。






「いずれにせよ、ヨメさんと話し合う必要があるな」
僕がそう思ったのは、K子と会った日から数日経った時だった。




しかし、そう簡単に話をするチャンスが無かったのも事実だった。





「初節句なんだけど、○○日にウチの親が来るみたいだけど、ぽんの方はどう?」
ヨメさんがそう言ってきたのは2月の下旬の事だった。


出来る限りの子供イベントを無視してきた僕だったが、父親に雛人形を買ってもらった手前
今回限りは逃げる事も出来ず、僕は両親に電話をした。






節句の日、僕は最初から気分が重かった。


お祝いムードになってしまうのが一番の理由だったけど、
僕の両親が7年振りに顔を合わすのも理由の一つだった。


父親の方はともかく、
母親は「父親の顔も見たくない」と思っているのが明白で、
当日のイザコザを考えると明るい気分になれるワケが無かった。


そしてヨメさんの両親と、僕の家で顔を合わせるのが初めてというのも
僕をイヤなキモチにさせた。


僕が仕事に行っている間、ヨメさんの両親は孫を見に何度か来ているようだったけど、
そういった細かい事も、僕は気に入らなかったのだ。




僕の両親は予想通りピリピリしていて、一色触発な雰囲気だった。
そしてその均衡が破れたのはおひらきの時だった。


「帰るなら送っていくけど」と父親が母親に言ったのだ。
両親は離婚したけれど、何の悪戯かお互いが徒歩5分の場所に住んでいたのだ。
これまで街でバッタリ遭遇 という事態に陥らなかったのが不思議なくらいだった。


「結構です」
母親は強い口調で即答した。




やれやれ、やっぱり始まったよ・・・
僕はため息をついて仲裁に入った。