23・両親



□2007年2月・27□


「帰るなら送っていくけど」と父親が母親に言ったのだが
案の定、母親は「結構です」と強い口調で断った。




やれやれ、やっぱり始まったよ・・・


僕はため息をついて仲裁に入った。




父親は「どうせ帰り道だし乗ってけよ」みたいな事を言っていたけれど、
母親としては、そういった問題ではなく同じ空間に居たくないだけなのだ。


「あー、いいよ。そしたら僕が送っていくし」
僕は二人の間に入ってそう言った。





先にヨメさんの両親が家を出たので外まで見送りに行き、
次いで父親が帰っていった。


僕は母親を助手席に乗せ、車を出した。




「しかし懲りないね、二人とも。離婚して何年経ってんだよ」
僕は笑いながらそう言った。


「何年だったかしらねぇ。でもお父さんが悪いのよ? ああいった言い方するから」
「まぁね。結局、15年以上経っても父さんは何も分かってないって事なんけどさ」
「そうよ。何でああも上からモノを言うのかしら。偉そうに」


僕は「ははは」と笑いながら両親が離婚に至る過程を思い出していた。





父親は6人姉弟の末っ子として産まれ、その気質は大黒柱主義だった。
それが4人の姉の影響か、物腰の柔らかかった祖父の反面教師としての結果か、
とにかく、父親が育ってきた環境には「強い女性」の存在があった。
だからこそ、父親は「男として」上に立とうとしていたのかもしれない。


つまり、旧き佳き家族像を理想としていた。
夫は家庭を護り、妻は三歩下がって付いてきて常に夫を立てる
といった感じに。


その理想を実現させるため、妥協せず、頑固者になっていった。






母親は7人兄妹の末っ子として産まれ、その気質はお嬢様主義だった。
明確な女家系で、母親の実家では祖母が実権を握っていた。
家業を営んでいたため、住み込みのお手伝いさんがおり、末っ子の母親は気楽な子供時代を送り、
女学校を卒業すると服飾の道へ進んだ事からも分かるように、自由気ままな性格だった。


そして、自分のやりたい事は好きにさせて欲しい というタイプであり、
外向的で外に出ていたいタイプでもあった。




そんな二人が知り合って、結婚して、僕が産まれた。


そして、お互いの性格を考えれば当然の事なんだけど、
あっという間に仲が悪くなった。


大黒柱主義の頑固者と、外向的な自由奔放主義が結婚して、
うまくいく筈がないのだ。





僕が両親のケンカを意識し出したのは中学に上がってからだった。


母親は13年も家に閉じこもっていたので、働きに出たがった。
父親は渋々とそれを了解したが、当然文句を言う事は欠かさなかった。


ことある事に
「それは働きに出ているからだ」
「家の事がおろそかになってるんじゃないか?」
「付き合いがあるのも分かるが、帰りが遅いんじゃないか?」
など、何かネタを見つけては文句を言っていた。


今になって考えれば、母親も手抜かりがあったのは確かだったのだが、
それは文句を言われる隙を作った母親の責任であろう。自業自得だ。


しかし、一方的に文句を言い続ける父親に対し、
母親も黙っている訳がなく、言い返していた。


そしてカっときた父親は、母親を平手打ちをし、言う事を聞かせようとした。
僕は自分の部屋で、いつもそのケンカを聞いていた。


あまりに言い合いが酷い時は止めに入ったが、
だからといってケンカが無くなる訳ではなかった。


僕は反抗期も重なって、基本的には母親の味方をしていた。
それは母親が大事という感覚より、暴力を振るう父親への反感だった。
そして母親は、父親とは別の部屋で寝るようになった。


高校に入る頃には激しいケンカは無くなったが、
それは沈静化されたというよりは「もう、お互い何も言うまい」という
ケンカの一歩先の状態だった。


僕自身は学校が楽しかったし、両親の事は気に留めようとしなかった。
むしろ、何を言っても無駄なので、放置していたくらいだった。




高校を卒業し、専門学校に入ると生活が一変した。
深夜までバイトしていたので、家に帰るのは夜中だったし、昼間は学校に行っていた。
だからその頃の家は、家族3人が「同居」しているだけで、
同じ家の中に居ながらも、顔を合わせる事はなかった。


それでも夜中に母親と顔を合わせる事はあったので、たまに話はしていた。


「で、いつ出ていくの?」
ある日の夜中、僕は母親にそう聞いた。


「うん、明日出ていく」母親はアッサリと答えた。
「そっか。ま、良いんじゃない? それで」僕もアッサリ答えた


「ごめんね」母親は少しだけすまなさそうに謝った。
「いや、別に構わないよ」
「そう?」
「うん。離婚した方がお互い幸せなら、その方が良いと思うし」
「まぁね。私はもう耐えられないから、ここに居るのが」
「うん。ま、別に縁が切れる訳でもないし、何処に行っても親は親だからね」
「嬉しいこと言ってくれるじゃないの。ぽんはどうする?」
「僕? 僕は残るよ。母さんじゃ学費払えないでしょ?」
「そりゃそうね」
そう言って母親は笑った。




そしてその翌日、僕が学校から帰ると、母親は居なくなっていた。


「ぽん。母さんが何処に行ったか知らないか?」
父親は機嫌悪そうにそう聞いた。


「さぁ。知らない。どうしたの?」僕は知っていたけれど、とぼけていた
「出ていった」
父親はそう言ったきり、黙り込んでいた。





「ところでさ、父さんと母さんはいつ頃から仲が悪かったの?」
僕は両親の離婚原因を思い出しながら、何気なく母親にそう聞いてみた。


「そうねぇ、最初からかな」母親は少し考えながらそう言った。
「最初から?」僕は驚きもせず、聞き返した。


「そう。最初っから。結婚した時から、あの態度が気に入らなかったわ」
そう言って母親は笑った。




やっぱりそうか。


僕がここ数日で導き出した結論は、やはり正しかった。