25・指輪 2
□2007年3月・2□
もう、指輪なんて要らないんだ。
僕のその考えは、諦めでもあると同時に開き直りでもあった。
今更、何を取り繕おうと無くなったモノは仕方ないし、
いちいち弁解する気にもならなかった。
家に帰ると僕はヨメさんに指輪を落としたことを伝えた。
ヨメさんは怪訝な顔をして理由を聞いてきた。
僕はありのままを簡潔に答えた。
バスに乗る時に落とした事
探したけど、暗くて見つからなかった事。*1
それだけを伝えた。
ヨメさんは問いただす訳でもなく
詰め寄る訳でもなく
僕を責める訳でもなく
ただ、黙って僕の言葉を聞いていた。
☆
ヨメさんは特に何も言ってこなかった。
きっと言いたい事はあるんだろうけど、言ってこなかった。
そういう性格なのだ。
何か言おうとしても、言わずに飲み込んで抱え込むのだ。
昔、「飲み込まないで、言いたい事は言ってね」といった感じの事を
ヨメさんに言ったような気がするが、良く覚えていなかった。
しかし、ヨメさんが不機嫌なのは一目で分かった。
翌日は土曜日だったので、僕はお昼頃まで寝ていた。
ゆっくりと起きてリビングに行くと、ヨメさんは無表情で疲れた顔をしていた。
その疲れ具合は、K子と会っていて朝帰りした時と似ていた。
きっと、あれこれと考えて寝不足なのだろう。
でも、結局のところ何か僕に言うのも、
飲み込んで何も言わないのも、それはヨメさんの判断に任せるしかなかった。
怒りたければ怒れば良いのだし、
指輪なんて要らないと思いはしたが、無くしたのは僕の不注意だったのだ。
もし、ヨメさんが怒っても、僕は素直に謝るしかなかったのだ。
でも、ヨメさんは何も言わなかったし、怒りもしなかった。
ただ「不機嫌」のヴェールを纏っていただけだった。
☆
その沈黙を破ったのは僕の方だった。
僕は遅い朝ご飯を食べ、換気扇の下で一服をするとコタツに入った。
ヨメさんはP子を寝かしつけた後で、テレビを見ていた。
「あのさ、指輪の事なんだけど」僕は口を開いた。
「うん」ヨメさんは無表情に答えた。
「どうして何も言わないの? 怒って良いんだよ?」
僕がそう言うと、ヨメさんは下を向いて何かを考えていた。
「どうせ、一晩中、モヤモヤしてたんでしょ?」
「うん」ヨメさんは下を向いたまま、そう答えた。
やれやれ。思った通りだ。
「なんで? 怒りたければ怒れば良いし、文句を言いたければ言えば良いのに」
僕がそう言うと、ヨメさんは意を決したように顔を上げた。
「指輪、本当に無くしたの?」
ヨメさんはそう言って、僕の顔をジっと見た。
「うん。無くした」
僕がそう言うと、ヨメさんはまた黙ってしまった。
「あのさ、何で何も言わなかったの?」
「わかんない」
「まぁ、今に始まった事じゃないけどさ、何も言わないよね、いつも」
「うん」
「・・・思ったんだけどさ。
結婚して6年以上経つけど、お互い思っている事って伝えあってないよね」
ヨメさんは無言のままだったので僕は言葉を続けた。
「お互いさ、表面だけで接してきたんじゃないかな」
僕はそう言いながら、指輪の話が違う方向に進んで行く事を予感した。
*1:但し20秒だけ