25・指輪 2



□2007年3月・2□


もう、指輪なんて要らないんだ。
僕のその考えは、諦めでもあると同時に開き直りでもあった。




今更、何を取り繕おうと無くなったモノは仕方ないし、
いちいち弁解する気にもならなかった。




家に帰ると僕はヨメさんに指輪を落としたことを伝えた。
ヨメさんは怪訝な顔をして理由を聞いてきた。




僕はありのままを簡潔に答えた。


バスに乗る時に落とした事
探したけど、暗くて見つからなかった事。*1


それだけを伝えた。




ヨメさんは問いただす訳でもなく
詰め寄る訳でもなく
僕を責める訳でもなく


ただ、黙って僕の言葉を聞いていた。





ヨメさんは特に何も言ってこなかった。
きっと言いたい事はあるんだろうけど、言ってこなかった。




そういう性格なのだ。
何か言おうとしても、言わずに飲み込んで抱え込むのだ。




昔、「飲み込まないで、言いたい事は言ってね」といった感じの事を
ヨメさんに言ったような気がするが、良く覚えていなかった。






しかし、ヨメさんが不機嫌なのは一目で分かった。
翌日は土曜日だったので、僕はお昼頃まで寝ていた。


ゆっくりと起きてリビングに行くと、ヨメさんは無表情で疲れた顔をしていた。
その疲れ具合は、K子と会っていて朝帰りした時と似ていた。


きっと、あれこれと考えて寝不足なのだろう。


でも、結局のところ何か僕に言うのも、
飲み込んで何も言わないのも、それはヨメさんの判断に任せるしかなかった。




怒りたければ怒れば良いのだし、
指輪なんて要らないと思いはしたが、無くしたのは僕の不注意だったのだ。


もし、ヨメさんが怒っても、僕は素直に謝るしかなかったのだ。




でも、ヨメさんは何も言わなかったし、怒りもしなかった。
ただ「不機嫌」のヴェールを纏っていただけだった。





その沈黙を破ったのは僕の方だった。




僕は遅い朝ご飯を食べ、換気扇の下で一服をするとコタツに入った。
ヨメさんはP子を寝かしつけた後で、テレビを見ていた。




「あのさ、指輪の事なんだけど」僕は口を開いた。
「うん」ヨメさんは無表情に答えた。




「どうして何も言わないの? 怒って良いんだよ?」
僕がそう言うと、ヨメさんは下を向いて何かを考えていた。




「どうせ、一晩中、モヤモヤしてたんでしょ?」
「うん」ヨメさんは下を向いたまま、そう答えた。




やれやれ。思った通りだ。




「なんで? 怒りたければ怒れば良いし、文句を言いたければ言えば良いのに」
僕がそう言うと、ヨメさんは意を決したように顔を上げた。




「指輪、本当に無くしたの?」
ヨメさんはそう言って、僕の顔をジっと見た。




「うん。無くした」
僕がそう言うと、ヨメさんはまた黙ってしまった。




「あのさ、何で何も言わなかったの?」
「わかんない」
「まぁ、今に始まった事じゃないけどさ、何も言わないよね、いつも」
「うん」
「・・・思ったんだけどさ。
 結婚して6年以上経つけど、お互い思っている事って伝えあってないよね」




ヨメさんは無言のままだったので僕は言葉を続けた。


「お互いさ、表面だけで接してきたんじゃないかな」




僕はそう言いながら、指輪の話が違う方向に進んで行く事を予感した。

*1:但し20秒だけ