26・カミングアウト



□2007年3月・3□


「結婚して6年以上経つけど、お互い思っている事って伝えあってないよね」


ヨメさんは無言のままだったので僕は言葉を続けた。
「お互いさ、表面だけで接してきたんじゃないかな」




僕はそう言いながら、指輪の話が違う方向に進んで行く事を予感した。






「もう、やめにしない? こういうの」
「こういうのって?」
ヨメさんは不思議そうな顔で聞き返した。




「何も言わず、何も聞かず、上っ面だけで生活すること」
僕はそう答えたが、ヨメさんは無言のままだった。




「あのさ、気付いてないかもしれないけど、僕がP子を抱っこすると泣くんだよ」
「そうなの?」
「うん。オマエがお風呂に入ってる間、抱っこしてるでしょ?」
「うん」
「ずっと号泣」
「知らなかった」
知らなかったのも無理はない。僕はそんな事、一言も伝えていなかったのだ。


「そりゃそうだよ。だって言ってないもん」
僕はそう言って笑った。
笑ったけど、これだって何も言わず、何も聞かずの一つなんだろうな と思った。




「でもね、泣いたのは僕が悪いんだよ」
「なんで?」
「ここ最近、僕の調子が悪くてね。だからそれを感じ取ったんじゃないかな」
「あまり調子が良くないような気はしてたけど・・・」とヨメさんは言った。






僕はW子との事があってからの約1ヶ月半、かなり酷い状態だった。
ご飯を食べればその都度吐きそうになり、
何処か一点を見つめてタバコを吸っていたり、
そもそも、笑顔すら消え去っていた。
笑う事はあっても、それは乾いた笑いか、テレビを見ている時だった。


そんな状況だったから、ヨメさんが気付かない方がおかしいのだ。
何も変化に気付かなかったら、相当の間抜けであろう。




「正直ね、家に帰ってくるのがキツかったんだよ。
 きっと、そういう雰囲気を感じ取ってたんだと思う」





「話したことが無かったけど、僕と両親の関係って希薄だったんだよ」




僕はK子との話や、自身の体験、母親との会話から導き出した答えを話し出した。




両親からの愛情をきちんと受けていない事
僕の、両親に対する愛情がほとんど無い事
僕が生まれた頃から両親の関係が壊れていた事
それに対して何も思っていない事
小さい頃の想い出が無い事
親に相談をする事なく物事を決めてきた事
僕が「独りの世界」で生きてきた事




そういった事をヨメさんに話した。
ヨメさんは何をどう言えばわからないといった感じに聞いていた。




「つまりさ、両親からの混じりけのない愛情って、子供には必要なんだよ」
僕はそう言って言葉を結んだ。






「うん、それは分かる。私もそう思う」
ヨメさんはそう言った。


「だけど、僕らはどう?」僕はヨメさんに聞いた。
「どうって?」
「僕ら自身が分かり合ってないのに、P子に対して混じりけの無い愛情って与えられると思う?」
「・・・・・思わない」


「だけど、僕らにはそれが出来てないよね」
「うん」
「僕が調子悪い今、P子はそれを感じ取ってるでしょ?」
「うん」
「同じように、オマエが機嫌悪い時もP子は感じ取ると思うよ?」




僕はそう言って、少しずつ話の核心に足を踏み入れていった。
「例えばさ、僕が誰かとご飯に行くって言うと、すぐ機嫌が悪くなるでしょ?」
「そう?」ヨメさんはまったく心当たりが無いといった表情で僕を見た。


「そうだよ。言った瞬間から動作が雑になってるよ。ドアを思いっ切り閉めたり」
それは本当に思いっ切り閉めるのだ。
僕はその度に「あぁ、機嫌が悪いんだな。また溜め込んでるのか」と思っていた。


「そうかなぁ」
ヨメさんは不本意な言われ方だと思っているようだったけど、僕は話を続けた。


「ドアもそうだし、食器を置くのだって力が入ってる」
そう言うとヨメさんは黙り込んでしまった。




そもそも、結婚する前からヨメさんは僕の交友関係に不満を持っていた。
要は僕が女友達と会うのが気に入らないのだ。


でも、僕は交友関係を壊す気は無かったから会っていたが、
その度にヨメさんとの溝は深くなっていったのだと思う。


しかし、結果として、僕はヨメさんの機嫌を考えて会う回数を減らし、
交友関係を端から崩していっていた。
結婚する前と今とでは、僕の交友関係は10分の1くらいになっていただろう。




「そんなに気にくわないの? 僕が女友達と会うのって」
このやり取りは結婚した頃から何度もやっていた。
でも、結局ヨメさんは気にくわないままだったし、
僕は減ったとはいえ、女友達と会うのはやめなかった。




「なに? 浮気でもしてると思ってたから?」
ヨメさんが黙っているので、僕はヨメさんの考えていそうな事を口に出すと
「うん」と答えた。


まぁ、そうだろうな と僕は思った。




でも、僕は「女友達と会う時」は浮気をしていなかった。
W子にせよ、他の子たちにせよ、好きになった子と会うは、ヨメさんには何も言ってなかった。
 →1回だけR子をダシに使ったが




「ふ〜ん。やっぱりそう思ってたんだ。
 でもね、友達と浮気なんてしてないよ」
僕がそう言うと、ヨメさんは疑わしそうな目で僕を見た。






「でも、浮気はしてたよ」
僕は、サラっとそう言った。





ヨメさんは僕が言った事を整理しようとしていたが、混乱しているようだった。


どういう事? とヨメさんが聞いてきたので、僕は
「女友達とは浮気してない。でも、オマエの全く知らない人とは浮気してた」
と答えた。


ヨメさんは強ばった表情で僕を見て黙っていたが
しばらくして「いつ?」と聞いてきた。




「いつって言われても、ちょこちょこと」僕は正直に答えた。
「1回じゃないの?」
「違うよ。1回じゃない」
「・・・・いつ頃から?」
「かなり前から」


ヨメさんは何をどう言って良いのか分からないといった雰囲気だった。
当然だろう。
突然、ダンナが浮気をカミングアウトしたのだ。
それで平静で居られる筈もなかった。




「・・・全然気が付かなかった」
暫くしてヨメさんがそう言った。


そりゃそうだ。
決してバレないように、細心の注意を払ったのだ。
W子に散々イヤな思いをさせてしまったくらい注意を払ったのだ。
これでバレていたら僕の逆効果だった努力も水の泡だ。




「・・・なんで?」


なんで? と聞かれても答えに困る。
なんで? そう、それは好きになった子が居たから。


でも、それが答えとして正しいのかどうか、僕には分からなかった。




「なんでだろう。まぁ、いろいろと理由はあるけど・・・」
「・・・・・」


ヨメさんは黙ったまま、何かを考え込んでいた。




僕はふと気が付いた事があってそれを口に出した。


「あのさ、寝てるよ、その相手と」
ヨメさんは「浮気」の程度を計り間違えているような気がしたのだ。


もし、ヨメさんが「他の人と手を繋いだら浮気」と思っていたら、
それこそ膨大な数の浮気をしている事になってしまう。


だけど、僕にとってそれは浮気でもなんでもなかった。




「そうなの?」
ヨメさんは驚いたように聞き返した。


「そうだよ。あと、一応言っておくけど、妊娠は関係ないよ。それ以前からだから」


僕はそこだけはハッキリと伝えたかった。
僕はヨメさんが妊娠したから浮気をしていたワケではないのだ。





「でも、浮気されても仕方なかったかな」
暫くしてヨメさんはそう言った。


「なんでそう思うの?」僕は聞き返した。


「んー、いろいろと」
ヨメさんは言いづらそうにそう言ったけれど、
僕はなんとなくその内容を知ることが出来た。




僕とヨメさんとでは
SEXに対する考え方やサイクルや方法が違うのだ。


もちろんその溝を埋める事は可能だし、結婚当初はその溝を埋めようと努力もした。
しかし、僕の歩み寄りとヨメさんの歩み寄りの距離は遠く、溝が埋まることは無かったし、
そのまま「半レス状態」に陥っていったのだ。


だから、
ヨメさんとしては「相性やら何やらが原因で」僕が浮気したと思っているのだろう。
実際には、それは当たらずも遠からずでそれだけが原因ではなかったし、
それだけが原因だとヨメさんが思っているようでは、何の解決にもならないだろう。




「ところでさ、僕はこれからも女友達と会う事をやめないよ?」
僕は少し話題を切り替えた。
ヨメさんは黙ったまま、僕の話を聞いていた。


「で、きっと、好きな子も出来ると思う」*1




「じゃぁなに?」ヨメさんは僕を睨み付けるように言葉を絞り出した。
「あなたはこれからも浮気をする。私はそれを認めて耐えろって言うの?」






「いや、そうじゃない」
僕は首を横に振った。




「そういう事じゃないんだ」
「じゃぁ、どういう事?」
ヨメさんはそう聞き返した。
僕は下を向いて自分の手を見つめながら息を整えた。












「離婚」
「え?」








「離婚、した方が良いと思ってる」
僕はそう言ってヨメさんの方を向いた。

*1:実際には「好きな子が出来る」のではなく、W子の事しか想っていなかったが、この時は便宜的にこう言った。