27・待っている人



□2007年3月・4□


「そういう事じゃないんだ」
「じゃぁ、どういう事?」
ヨメさんはそう聞き返した。
僕は下を向いて自分の手を見つめながら息を整えた。


「離婚」


「え?」


「離婚、した方が良いと思ってる」
僕はそう言ってヨメさんの方を向いた。






「なにそれ」
ヨメさんは今まで見たことも無いような厳しい表情で僕を見た。




「このまま結婚生活を続けていてもお互いにも良くないし、P子にも影響が出ると思う。
 だから、離婚した方が良いと、僕は思ってる」
僕はもう一度そう言った。




ヨメさんは暫くの間は黙っていたが、やがて泣きだした。




まぁ、そうだろうな。
僕は他人事のようにその姿を眺めていた。




「今までお互いを理解しあってこなかったから、
 これからは理解しあっていこう っていう話じゃなかったの?」
ヨメさんな泣きながらそう言った。


ヨメさんがそう言うのも無理はなかった。
逆の立場だったら僕もそう考えただろう。




今までの二人の状況を確認し、
お互いに非のあった部分を話し合い、
そして一からやり直す。




話の流れから考えれば、それが「まっとう」な筋だった。


しかし、
僕は身勝手だとは思うけど、もう決めてしまったのだ。




「うん、そういう事じゃないんだ」
僕はそう言ってヨメさんを見た。




このまま生活してもきっと何も変わらないだろう。


お互い、どこか壁を作ったまま過ごし、
お互い、何か言いたい事があっても言わず、
お互い、そんな状況に息苦しさを感じ、
お互い、それがストレスになっていくのだろう。


そしてその状況は、僕の両親と酷似するのだろうと思った。




「きっとね、このまま生活していっても改善されないと思うし、
 そうなるとP子は僕になっちゃうんだよ。
 でもそれは避けたいし、P子には混じりけの無い愛情を与えたいんだ。
 僕ら二人のギクシャクした感情の入った愛情より、
 ○○一人からだけではあるけど、純粋な愛情を与えた方が良いと思う」*1


僕は、こりゃ詭弁だな と思いつつもそう言った。




「確かに私もそう思うけど・・・
 でも、やり直す事は出来ないの?」
ヨメさんは納得半分・不満半分といった感じでそう言った。




「うん」
僕は簡単に答えた。




「でも、どうしろって言うの?
 この家はアナタが買った家だから私が出ていくけど、P子を抱えてどうやって生きていくの?
 実家は頼りにならないし、仕事だって考えなくっちゃいけないでしょ?」


「実家はどうにもならないの?」
「無理だよ。弟が居るし、親だって年金暮らしだもん」


ヨメさんの弟はまだ実家に住んでいたのだが、まだ当分独立する予定は無かったし、
諸事情があって、実家に住まざるを得ない状況でもあった。


しかし、元々ヨメさんは実家に住んでいたのだし、無理という事もないだろうと僕は思っていたから
「年金暮らしなのは知ってるけど、住むだけとかも無理なの?」
と聞いてみた。




それは暗に「実家に住めば家賃はかからないだろう」という僕からの提案だった。
何かあった時だって親が居れば安心だろうし、ヨメさんも気が楽になる筈だった。




「無理だよ。部屋も無いし・・・」


ヨメさんはそう言ったけど、使える部屋があるのは知っていた。
それは半地下の部屋だったからヨメさんとP子が居るわけにはいかないが、
仕事で夜中にしか帰ってこない弟の部屋にする分には問題が無いと勝手に思っていた。




でも、僕はそれを口に出す事はなかった。
ヨメさんの実家には実家なりの事情があるだろうし、
その部屋割りに僕が口を出す権利は無かった。





暫くしてからヨメさんは僕の方を向いて
「指輪、本当に無くしたの? 捨てたんじゃないの?」
と聞いてきた。




「違うよ。捨ててなんかいない。本当に無くした」
僕は言葉に意志を込めてそう言った。
何故だか分からないが、僕はその部分に関して勘違いをして欲しく無かったのだ。


確かに僕はロクでもない人間だし、浮気のカミングアウトもした。
でも、指輪を捨てるような事はしない。
これも一種のプライドなのかもしれないけれど、
指輪を捨てるような人間だと思われるのは我慢がならなかった。




僕がそう答えるとヨメさんはまた黙ってしまったが、
何かを考えているようだった。


やがて
「ねぇ、私と別れて一緒になりたいヒトが居るんじゃないの?
 誰か、待たせているヒトが居るんじゃないの?」
と聞いてきた。




ヨメさんがそう思うのも無理はなかった。
浮気を続けていた挙げ句、離婚を切り出しているのだ。


背後に女性の影を見てもおかしくなかった。




一緒になれるものなら、一緒になりたいヒトはいる。
でも、その相手はもう僕の側には居ない。
もう、僕の事を待ってはいない。






「居ないよ」僕は簡単にそう答えた。
「本当に?」


「うん。今は、そんな相手、居ない」


僕はそう答えるのが精一杯だった。




何週間か前だったら「居る」と答えたかもしれない。
でも、今、この時点で僕を待っている人は居なかった。


僕の希望だけを考えれば「一緒になりたいヒト」は居たけれど
現実問題として「一緒になれる相手」は居なかった。




「そう・・・」
僕が答えると、ヨメさんは一言だけ答えてまた黙ってしまった。






僕が離婚を切り出した根本にはW子の存在があるけれど、
それは思考の出発点であって、結論に存在している訳ではなかった。




だからヨメさんの質問に対し正確に答えるならば
「一緒になりたいヒトは居るけど、一緒になる事は出来ない。
 そのヒトは僕を待ってはいない」
となるのだろうけど、それを言ってもヨメさんには理解してもらえないだろう。


そして、そう答えてしまうと、
離婚とW子の事は切り離して考える という前提が壊れてしまうような気がした。

*1:○○・・ヨメさんの名前