30・せめてもの事



□2007年6月・2□


P子の一歳の誕生日から数日経ったある日、
僕はヨメさんともう一度話し合う事にした。





「どう? 少しは何か考えが進んだ?」
僕がそう言うと、ヨメさんは少しかしこまって


「少し時間を貰って良いですか?」と答えた。




時間? と僕が聞き返すと
「出ていくにしても、仕事も見つけなくちゃいけないし、
 住む所も、保育園の入所手続きもあるから」とヨメさんは言葉を続けた。




あ、なるほど、そういう意味での「時間」か。




どうやらヨメさんは家を出る事だけは決めたらしかった。
「うん。まぁそうだろうね」と僕は同意した。




ヨメさんは「考え直して欲しい」とか「別れたくない」とか
そう言った事は一言も言わなかった。
ひょっとしたらそう言いたかったのかもしれないけれど、
おそらくプライドが許さなかったのだろう。


住む所の話をした時に、自分の実家へ戻ろうとしなかったのも、
プライドがジャマをした結果であろう。






考えてみれば、
ヨメさんは妻として・母として・女としてのプライドが非常に高かった。


それが悪いとは思っていないけど、生きるのにジャマにならないのかな?
と思う事はあった。


そして、そのプライドに見合うだけの根拠があるとも思えなかった。


妻としてプライドが高いからといって家の中がキレイなワケでもなく、
母として離乳食を手作りしていたとしても、床が埃まみれだったりしていた。*1


つまり、世間体を異様に気にするタイプなのだ。


それは、実家の親に対してもそうであったからこそ「実家に出戻る」事を嫌がったのだろう。





ヨメさんが出ていく決心をしたように、
僕も幾つかの事を行った。




一つはP子の積み立てで、もう一つは生命保険の受取人の設定だ。
元々、親から積み立ての話を聞かされていた事もあり、
結局加入する事にした。


僕の給料ではそう大した額が払えるワケではないが、
それでも成人する頃には数百万単位にはなるだろう。




生保の方は、
母親が成約を取るために勝手に僕を加入させていた契約を流用した。


掛け金を上げて、支払額を増やし、受取人をP子にした。
手続きに来た方*2は不思議に思い、後日母親に報告したらしい(笑
 →普通はヨメさんにするらしい




これが今の僕に出来る、せめてもの事だった。






そして7年ほど乗った車を手放す事にした。
この時、僕はちょっとレアな車を持っていたのだが、故障が多かったので
アシにと思い軽自動車も使用していた。


馴染みの車屋さんも「どうする? 完全に直す?」と心配してくれていたんだけど、
それこそ100万200万の世界になるのでお金を掛けるのは難しかった。


かといってその車を朽ち果てさせるのは忍びなく、
車屋さんに引き取ってもらう事にした。


ついでに軽も引き取ってもらい、他の車1台を譲り受け、下取りのお釣りを貰った。


つまり
車2台(変車と軽)=車1台+うん十万 という事だ。


そのうん十万はヨメさんが出ていく時に渡す事になるだろう。




僕はそれらの事をヨメさんには何も言わず、黙々と手続きを行った。
車に関しては「まぁ、1台で充分だし」とだけ伝えた。





結局、何ヶ月たっても
お互いの判断で何かを考えていた。


話し合う とか
相談しあう とか


そういった協調体制とは無縁で
ただ、結末に向かって事務的に何かを処理していった。




その事務的な処理が、
全てを長引かせる原因になると、その時はまだ思っていなかった。

*1:たまに味付けが狂う事があるのを除けば料理は美味い

*2:偶然にも中学の同窓生のお母様だった