32・甘さ



□2008年4月□


「そういえば保育園の申し込みはどうなったの?」
僕は、申し込みだけしてその結果を言ってこないヨメさんにそう聞いた。


ヨメさんは仕事を始めるために保育園の申し込みをしていた。
本来ならば以前働いていた会社に復帰するはずで、その手筈も整えていた。


年明けに、かつての上司に相談をする筈だったのだが、その上司が正月に自殺をしてしまい、
あまりに酷い会社の実状のため、復帰を辞めたのだった。
それに関しては僕も同意見だった。


それにより復職と保育園の事は仕切直しになっていた。




「保育園、無理だった。一応、引き続き申し込みはするけど、仕事もなかなか見つからなくって」
「そっか」僕は一言だけそう答えた。


それにしたって仕切直しからもう3ヶ月も経っているのだ。
相変わらず動きが遅いと思ったけれど、それについては何も言わなかった。




「ねぇ。なし崩しにしよう とか考えてるの?」
僕は少し意地悪く聞いてみた。


離婚話を切り出してから1年経っているのだ。
普通だったら精神的に参っていたりしてもおかしくない。


それでも普通に生活しているのを考えると、なし崩しを狙っているとしか思えなかった。




「そんな事はないです」
ヨメさんは敬語でそう言った。


「そう? そうは思えないんだけど」と僕が言い返すと、ヨメさんは
「託児所がある職場も探してるんだけど、なかなか見つからなくて。
 申し訳ないといは思うけど、見つかるまで居させてください」と言った。


「うん、わかった」
僕はそう答えた。


いくら僕でも、その状況で追い出すような事は出来なかったし、
ヨメさんが実家に戻ろうとしない限り、仕方のない事だった。


これは僕の甘さであり、決断の弱さなのだと思う。




僕がもっと強く心を決めていれば、
ヨメさんの実家に帰らす事も、僕の母親の家に住まわせる事も可能だった。


しかし、それが出来ずに、僕はヨメさんの行動に任せていた。




その甘さは、離婚に対して決心が鈍ったのが理由ではなく、
P子を手放したくない という「今更、何を」という事だった。





一般的な「娘を持つ父親」よりは少ないだろうけれど、
僕なりにP子に対して愛情を抱いていた。




「子どもの顔を見たいから早く家に帰る」という事は無かったけれど、
家に帰ってP子がまだ起きていれば必ず抱っこをしたり遊んだりしていた。


休日も色々と出掛ける事が多かったけど、家に居る間は遊び相手になっていた。




P子と遊んでいると、
どんな感じに育つんだろう とか
片親になったら苦労するだろうな とか
きっと恨まれるだろうな とか


そういう事を考えてしまい、
その度に自分の決心が分からなくなっていった。




僕は、心の何処かで離婚を決心し、
心の何処かでP子を手放したく無かった。




そして、それが「調子の良すぎる話」だという事も解っていた。





「ところでさ、一つ言っておいて良い?」
僕はヨメさんに向かってそう言った。




「なに?」ヨメさんは聞き返した。


「あのさ、冬の間の光熱費とか、いくら位になったか知ってる?」
「・・・・」ヨメさんは黙ったままだった。




「ガスと電気で3万越してるよ。通帳の引落を見てびっくりしたよ(笑」
「・・・・」ヨメさんはまだ黙っていた。


「寒いから、暖房も使うし、お風呂も沸かすから増えるのは分かるの。
 でも、その分の節約ってしてる?」


「・・・・例えば?」ヨメさんはやっと口を開いてそう言った。


「例えば電気。部屋に居なければ消すとか、換気扇もこまめに消すとか、
 給湯器のスイッチとかもそう。微々たる金額だろうけど、そういう意識って必要じゃない?」


ヨメさんは僕の話を黙って聞いていた。
きっと図星だからだろう。




「そういって経済観念を持って欲しいんだ。実家暮らしだったから分からないだろうけど、
 覚えておかないと後で苦労するよ?」


僕がそう言うと、ヨメさんは頷いた。




ヨメさんは浪費家では無かったが、決して倹約家ではなかった。
要は、金銭的に「ユルい」のだ。




もちろん必要な部分にはお金をかけて良いと思うが、
それ以外の部分に於いては引き締める必要があった。




僕は車を売却したお金を蓄えとしていたが、
冬の間にそれを食いつぶしにかかっていたのだ。


つまり、月単位で考えると赤字だった。




蓄えのお金はヨメさんに渡すつもりだったから、
ヨメさんが浪費する限り、自分の取り分が減っていくのだ。


僕はそういった事を伝えると、ヨメさんは納得し、
「これから気を付ける」と言った。




その後、ヨメさんの辞書には「節約」という言葉がインプットされ、
無駄な浪費は無くなっていった。






そして、離婚の話も進む事が無かった。




僕は、今更ながらに
「随分と長引くもんだなぁ」と思っていた。