21・涙



□2007年2月・25□


「うー、寒い」
僕とK子は妙に空気の澄んだ駅のホームに立っていた。
朝日が当たった部分だけは暖かかったが、全身が凍るような寒さだった。




「今日はありがとうね、話を聞いてもらっちゃって」
僕は寒さで充血した目でK子を見ながらお礼を言った。


「いえいえ。ぽんさんがスッキリした気分になれたなら、全然構いませんよ」
「ははは。ありがとう。でも、厄介な性格でごめんね」
そう言って僕は笑った。


「ホント、厄介ですよ。6年以上かかりましたよ、心を開いてくれるまで」
そう言ってK子も笑った。


「そうだっけ?」
「そうですよ。だって最初に「穴がある」って言ってから、ずっとですよ?」
「あはは。そういやそうだね」僕はまた笑った。


「でも、今のぽんさんは表情がスッキリしていますよ?」
「そう?」
僕には実感がなかったけれど、K子にはそう思えたのだろう。




「ねぇぽんさん」
「ん?」
「今年はぽんさんにとって、転換期なんです。
 何かを得るにしても、失うにしても、決断をしなくちゃいけないんです。
 そうしないと、一生今のままで何も変わらないんです」
「うん。そうだと思う」
「本当に分かってますか? マジメに考えなくちゃいけないんですよ。
 たぶん とか、きっと とか、そういった言葉で逃げないでくださいね」
「・・・・分かった」僕はK子の目を見ながら頷いた。


「ホントかなぁ」K子は疑わしそうな目で僕を見た。
「うん。ホント。 たぶんね」僕は笑いながらそう答えた。
「ふふふ。あやしいなぁ・・・」そう言ってK子も笑った。






「じゃぁ」
K子は電車に乗り、ドアの前に立っていた。


「うん。今日はありがとう」
僕はホームでK子を見送った。


「ちゃんと、自分自身と向き合ってくださいね」
「わかった」


そしてK子を乗せた電車は走り去っていった。





鍵を静かに開け家に入ると、まったく物音がしなかった。
それもそうだ。土曜の朝7時半なのだ。


僕は音がしないようにそっと家に入り、顔を洗って歯を磨き、コンタクトを外した。
キッチンの換気扇の下でコーヒーを飲み、タバコを一本だけ吸った。


タバコを吸いながらK子と話した内容を反芻してみたけれど、
頭がボーっとしていてうまく考える事が出来なかった。


取り敢えず、寝て、それからまた考えよう。
僕はそう思い、カップを洗い自分の部屋へ戻った。




着替えを済ませ、隣の部屋を軽くノックしドアを開けると
ヨメさんが眠そうな目で僕を見た。


「ただいま」
僕は子供を起こさないよう、小さな声でそう言った。


「・・・おかえり」
ヨメさんは何とも言えない表情でそう答えた。




僕は布団の横に座り、子供の寝顔を見た。
暖かそうに寝ているその姿は、まだ「何もしらない」という幸せ感に包まれているようだった。


ゴハンだったの?」
ヨメさんは布団の中に潜ったまま、ボソっとそう言った。




きっと一晩中、あれこれ考えていたのだろう。
起きてたの? などと聞くまでもなく、ほとんど寝ていないのはすぐに分かった。
ヨメさんはそういう性格なのだ。


僕はそんな事に気付いた素振りを見せず、
「うん。出版社の人たちとね」と、簡単に答えた。




僕はしばらく子供のクセのある髪の毛を触りながら寝顔を見ていた。


顔を見ながら、K子の言った
「何かを手に入れたければ、何かを捨てなくちゃだめなんですよ? その勇気がありますか?」
という言葉を思い出していた。




勇気、か。


僕は心の中でため息をついた。




「部屋、戻るよ」
僕はそう言って部屋に戻った。






部屋に戻って、僕はもう一本タバコを吸った。
吸っていると、ふいに涙が頬を伝った。


哀しいとか、そういった感情があったわけではなく、
ただ、涙がとめどなく溢れてきていた。




僕は布団に顔を埋め、声を押し殺して泣いた。


今まで閉じこめていた「何か」を解きほぐし、
何も考えず、小さな小さな声で激しく嗚咽した。