2・或いは「美」と「美'」について
○7月28日:NHKがラジオ受信料廃止を決定(1967年) →翌年4月1日から実施の決定。ついでにテレビも無料に・・・http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060727-00000117-yom-soci 18歳以上である事を証明しなくてはならない芸能プロ=AV製作会社(東中スポーツにはAV3本出演と書いてあった)
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060728-00000061-sph-ent 井上訓子さんつったら、隠れたCMクイーンじゃないですかー。 →ウィキペディアにも詳細アリ
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相変わらず筆の進みが遅い上に
また脱線な内容。
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僕の行動基準・判断基準は「それが美しいかどうか」。
笑い話に聞こえるかもしれないけど、ホントの事。
ただ、美徳とか可憐とか、そういう意味の美ではなく
僕個人の中にだけある「ぽん判断」だ。
だからモラルとかそういう一般論的な美とは違う。
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例えば、
こないだ会社から帰る時、バスロータリーでカップラーメンを食べている
30代のサラリーマンが居た。
これは僕的には、まったくもって「イタいヤツ」な判断なんだけど
これが10代20代前半なら「OK」と思ってしまう。
部活帰りの高校生だったら「がんばって部活してるんだなぁ」と好感を持ってしまうかもしれない。
つまり10代なら「美」、30代だと「醜」。
例えば、
僕が台所で洗い物をすれば
三角コーナーは、毎回必ず洗う。
これは僕にとっての「美」
例えば、
満員電車で雑誌や新聞を読む。
これは僕にとっての「醜」
例えば、
中年太りしたおやじ。
これは僕にとっての「醜」
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もちろんこれは僕にとっての判断だから
当然違う意見もある。
時間を有効活用するため、バスロータリーでカップラーメンを食べてるのかもしれないし
満員電車で、痴漢に間違われたくないから雑誌を読んでいるかもしれないし
豊潤な生活を送っている証として太っているのかもしれない。
だから僕にとっての「美」と「醜」が全部正しいとは思わない。
つまり、物事には裏と表の解釈があって、
そのどちらを選択するかは、その人の価値観による、という事だ。
これはディベートに似ていて
ある事柄に対して「A」という解釈と「A'」という解釈があり
そのどちらの解釈をするかは当人の自由だ。
→当然、主張を入れ替えて討議もする
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人付き合いに於いては
「A」の人も「A'」の人も「A''」の人だっている。
「A」と「A'」であっても問題はない。
お互いがそれを認識し、認めあっていれば。
→これが「相互理解」
そうやってお互いの絆って深まっていくのだと思う。
でも。
AからZまで、違いが少なければ少ないほど
良いと思いませんか?
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[独り言] 早寝遅起き